しんやの餃子世界紀行 Vol.48
「鍵盤は鳴く、昔聴いた懐かしい音ではなく
るるると岡山に夜を告げて」
距離が離れることを許容することは難しい。
ネットが普及しても、すぐに電話できる文明がどんなに進んでも。
物理的な距離は埋まらない。
どちらかは待ち、どちらかは進む恋があれば。
どちらも進まず、ひたすら距離だけがかさむ恋もある。
かすみちゃんは大阪にいて、彼氏さんは愛媛にいる。
「岡山が大阪と愛媛のちょうど真ん中だから」
2人はそんな理由で岡山に来てくれた。
2人で応援する阪神タイガースの優勝までのマジックは例年より現実的に減っていく。
かすみちゃんの好きなオリックスの山岡は、球界きってのイケメンだが報われず、チームは勝ったが今日も彼に勝利はつかない。
ゆきちゃんも大阪の大学に進み、としくんは岡山の大学にいる。
元々宮崎県出身のとしくんは徐々に列島を東に進み、岡山にたどり着いたがゆきちゃんは更に東に進む。
宮崎といえば巨人のキャンプ地として有名で、子供の頃貰った阿部慎之介とゴンザレスのサインは幼心にとしくんに響いた。
阪神のファンにしようとするかすみちゃんと、阪神だけは愛せないとしくんは一生交わることなくそれぞれの住む場所に、戻るべき時が来たら戻っていく。
同じ国の中でもこんなにも遠く感じる。
南アフリカから来たジオウと、カルフォルニアから来たジョーはさらに遠くの距離を離れて故郷が手に届かない。
そんな2人に大阪で生まれた薮さんは生ビールをたくさんご馳走する。
時間が流れて一組、また一組と家路につく。
戻ってきた守屋に、最近親友になった異国の2人を紹介する。
薮さんは少し疲れていたのか、眠りに落ちている。
お店を閉めてジオウとジョーは隣のるるるに向かう。
僕と守屋は久々に2人で飲んで、充電器を忘れたかすみちゃんのために店に戻る。
風呂上がりのかすみちゃんは牛柄のヘアバンドをして充電器を受け取って、
「すいませんねえ」
と、彼女の年齢より少し大人な顔で謝った。
岡山の夜は危ないから、守屋に明るいところまで届けてもらってかすみちゃんはホテルに戻る。
僕はジオウとジョーが待つ隣の店に向かう。
るるる
我々と同じテナントを半分持つ空間ではない。
信念と表現が外の小さい窓からその全容を隠しても溢れ出て入るに忍びない。
飲むことに緊張した夜はいつ以来だろうか。
立場が上の方と飲む日の夜の緊張ではなく、お店に届かない自分に対して萎縮する緊張は、いい意味で酒に酔いそうもない。
中で待つ親友との会話は日本語少なめ。
頭で思いつく言葉が日本語ではなく横文字に変換されて素直に口から出ていくのは、恥ずかしながらも同じ言語で夢を見て会話する自分を隠すためかもしれないと今にして思う。
こんなに喋れるんだな、自分と。
学生の頃、普通に交わすことのできたコミュニケーションを思い出す。
あの頃は怖いものがなくて、間違うことにも戸惑いがなかった。
伝わらないことが怖いという感情は、社会が窮屈な中で屈折した感情でしかなかった。
そういえば久しく聴いた鍵盤の音は、高い音域が空気に震えて懐かしい。
こんな音を奏でるものを一生懸命弾いたあの頃が遠い昔のようで、その日から積み重ねた自分の大したことないプライドやブランドが全く追いついていないと感じるこの空間は、格段無駄ではなかった日々を裸にして様々な角度に響く。
物理的な距離の辛さとは似てはいないけれど、生き方の距離を感じ、なのになぜか居心地が良い。
親友2人と、美人が作るジンの味が心地良い。
少し背伸びをしながら今日もまた大人になる。
同じ世代の美人さんには追いつけないけれど、半歩の半歩で大人に近づいて今日はその足音が心地良い。
この鍵盤の音は、外を歩く人の耳に届くには小さく、止まるタクシーのエンジン音に消される。
でも確実に鳴る。
表町の夜の始まりを、るるると告げる音が鳴る。