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課題の向き合い方――不真面目学生の大学回顧録
とある休日、仕事に関する調べものがしたく、近所の図書館に足を運んだ。
本の大海原から、それらしい本を一、二冊手に取り、図書館の長机に腰掛け、周りを見渡す。ガリガリと音を立てながら、ノートに向かって何かを一生懸命書いている人がたくさんいるのが見えた。彼らの手元近くには、分厚い参考書が高く積みあげられている。おそらく受験生だろう。
皆、目標達成のため、パンクしそうなくらい頭を追い込み、勉強に勤しんでいる姿は微笑ましい。私はこの図書館の光景を「精神と時の部屋」と呼んでいる。
ジェンガのごとく積みあがる参考書の山を見て、過去の懐かしさと共に、大学時代に抱いていた不満が胸をよぎった。そういえば、この気持ち忘れていただけで、まだ供養していなかったっけ。
今日はその気持ちを吐露していきたい。
「図書館にある本で調べて答えを書いてきなさい」
時々、大学の講義で、こんなくそみたいな課題が出ることがあった。
私はそういった類の課題が大っ嫌い。
イチに、めんどくさい
ニに、そんなこと考えたくない
サンに、本が手に入らない
特に「本が手に入らない」という問題にイラついていた。
私は地方の公立大学に通っていたため、都会の大学などに比べると、図書館の規模はかなり小さい。そのため、本の数にも限りがあった。
たいてい優秀な生徒は、講義終わりに図書館に直行し、課題の内容について書かれた本を片っ端から借りて行ってしまう。
優秀な学生が、本を根こそぎ借りて行ってしまうのは食物連鎖と似ている。仮にその人たちが本を返しても、生態ピラミッドの次の者へと本が渡っていく。
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自称不真面目学生代表の自分は、第一次消費者(植物性動物)と同じくらいの立ち位置にいた。早くて提出期限2日前くらいで課題に取り掛かっていたから仕方ない。いざ、重い腰を上げ、課題に取り組もうとすると、図書館にはそれらしい本が見当たらない。ようやく高まったモチベーションも風船が宙に舞って萎むかの如く急激に無くなってしまう。
これが「この課題の一番嫌いな部分の一つ」
こんなに需要と供給が釣り合っていないアンバランスな状態があっていいものか。みんなが同じものを持ち同じ機会を得る。この時だけは、社会主義国家が羨ましいと思った。
たまに「本がなくて、課題に取り組めないんです」と先生に軽い冗談みたく愚痴をこぼす学生が他にいた。
「よしえらいぞ!もっと言え~」
長い間、胸の中で閉じ込めていた想いを、誰かの言葉がまるで私の代わりに吐露してくれたかのような、奇跡的な瞬間だった。
だが、先生の回答は......
「誰かと本を共有すればいいんです」
と言われましても……
誰とでも仲良しこよしできる世界など存在しないよ。そこまで話したことが無い人にこの本一緒に見せて欲しいとか、普通言えないし。まあ……要するにシャイボーイでしたので。
そこで私は、優秀な人たちに、あの手この手を使って「課題を見せて欲しい」と懇願していた。
それでも無理なら、普通にネットの海から拾ってきた薄っぺらい情報で、学びのない課題をやると言う行為をを淡々とこなしていた。
まあ、そんなことしていたら、周りからは、「せこい、卑怯者、自分でやれよ」と言った軽い野次が飛んでくる。メンツなど知ったことか、「これが俺のやり方だ」と自分を肯定化していた。私の心は一ミリもびくともしない。馬の合う友人とお互いに傷をなめ合いながら自己肯定感を高めていた。
優秀な学生の咀嚼した内容を頂いていた身だったので、生態ピラミッドで例えるなら、ひょっとしたら分解者(土壌動物)のような立ち位置となるのではないか。分解者は動物の死骸やフン、落ち葉などを分解し、土壌に養分をもたらすありがたい生き物である。
私はその内容を私の中に留めず、他の不真面目仲間に普及したりもした。私の役割は、多くの不真面目生徒に養分を与えていたことになるだろう。私は紛れもない分解者だ。ただし、優秀な学生にはメリットをもたらさない害悪な存在でもある。
不真面目な私は最初は第一次消費者としての立ち位置で、のちに分解者としての役割を果たす稀有でハイブリッドな存在だった。
当時の大学生活を振り返ると、私は分解者的な役割を果たしていたんだな。なんだか重要な役割を果たしているような錯覚が起き、頭が矜羯羅がってくる。
多少の不満はあったが、不真面目ながらも工夫して学びに向き合った学生時代に後悔はない。
ちょっと嫌味たっぷりに書いてきたが、今振り返ると、自己中心で不真面目な私の課題との向き合い方は泥臭くて面白いと思った。
おそらく真面目にやってきた生徒は、これを読んで確実に良い印象は受けないだろう。あくまで読み物として、楽しんでもらえればと……
当時抱いていた課題に対する不満を、文章でつらつら書いてきてストレス発散ができた気がする。当時の不満は供養できたのではないだろうか。
最後にいまさらですが、「これまでの課題において、惜しみなく手を差し伸べてくださった方々に、深い感謝の意を表します。皆様のご助力がなければ、私の歩みは今ここに至ることはなかったでしょう。重ねてお礼申し上げますが、言葉では到底尽くしきれぬほどの恩義を感じております。心の中で、ただただ感謝の思いが湧き上がるばかりです。」と言わせて頂きたい。
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