毒味役を全うした1年――不真面目学生の大学回顧録
理系大学生にとって、4年生になると研究室に配属されるのが一大イベントだ。
大学3年生の後期ともなれば、周囲の話題は専ら研究室選びで持ちきり。だが、私はいわゆる落ちこぼれ生徒。人気の研究室に配属される権利はほとんどないに等しい。正直、どこでもいいし、むしろ楽な研究室に入りたいと思っていた。
そんな私も紆余曲折を経て、なんとか研究室が決まった。
蓋を開けてみると、配属先は驚くべきことに、「私一人」の研究室。先輩も同級生もいない。先生とのマンツーマン体制だった。
初めて研究室を訪れた日のことは、今でも覚えている。
先生の第一印象は、何を考えているかわからない人。机の上には難しそうな論文が散乱し、ホワイトボードには見たこともない化学式が書かれていた。真面目に研究しているのは伝わるが、どこか抜けた雰囲気を感じる。頭のいい人にありがちな、変人タイプ、というのがぴったり当てはまった。
彼は東洋医学や西洋医学に詳しい。そのせいか、棚には不気味な生薬が山のように積まれていた。乾燥した植物の根や葉、よくわからない果実など。どれもゲームに出てくる薬草のような感じ。少なくとも、100種類以上はあるようにみえた。一体どこから仕入れてきたんだろうか、と不思議に思う。だが、恐れ多いので聞くことはやめておいた。
そんな先生は意外にも親しみやすい人だった。初日から豪華なティーポットでお茶を振る舞ってくれた。
しかし、そのお茶がなんとも曲者だった。カップを近づけると、薬のような独特な香りが鼻をくすぐる。見た目はジャスミン茶に似ているが、飲んでみると……正直、苦くて不味い。
「どうですか? 試作品なんです。感想を聞かせてください」
ニコニコしながら聞いてくる先生。
今飲んだお茶は、研究室の棚にある不気味な生薬を調合したものだったのだ。
あまり失礼なことを言ったら駄目だと思い、咄嗟に「美味しいです」と答えた。だが、この一言が運命を変えた。翌日から、私は毎日のように先生が作る「謎の飲み物」を飲まされることになったのだ。
最初はどう対応していいかわからなかったが、慣れるにつれて少しずつ忌憚ない意見が言えるようになった。
「これはイマイチですね、1点」
「明日は美味しいの頼みますよ!」
なんて酷評を平然と口にすることも。そうして「毒味役」としての地位を確立していった。
そんな関係を続けたおかげで、先生との関係はすこぶる良好。
彼の「謎の飲み物作り」という趣味のような実験は、次第にヒートアップしていく。その度に毒味をしていたので、いつの間にか謎の飲み物の成分を当てられるようになるという、奇妙なスキルも身につけた。
今振り返ると、よくもまぁ飽きもせず、あの得体の知れない液体を飲み続けたものだと思う。だが、この経験は、私に一つ、大切なことを教えてくれた。それは、「挑戦することの楽しさ」だ。
大学卒業後、私は仕事を辞め、東南アジアを縦断したり、インド一人旅に出かけた。現地では、ゲテモノ料理を勧められる機会も多い。だが、臆することなく、ガツガツ挑戦する自分がいた。大学時代に培った「何でも受け入れる心」があったからだと思う。毒味役としての日々がなければ、今のような好奇心旺盛な自分にはなれなかっただろう。
大学生活は、だらだら遊んでいただけで、何も学ぶものがなかったように感じていた。しかし、そうではなかった。あの毒味役の経験を通して、「何事も恐れず挑戦してみる」ことの大切さを学んでいたのだ。先生と過ごした研究室の日々は、私にとってかけがえのない財産である。
いつかまた機会があれば、あの研究室を訪れてみるのも悪くない。
でも、もう毒味役だけは勘弁してほしいが。