平原慎太郎「循環する創作環境の獲得」感想
公益財団法人セゾン文化財団のニュースレター「viewpoint」に、振付家でダンサーの平原慎太郎氏による「循環する創作環境の獲得」という寄稿文が掲載された。
一読し、パンデミックがダンスの有り様さえ蝕んでいる現実にハッとさせられた。
“この出来事が既存のダンスというものを消失させる可能性を秘めていると感じました。”
“が、最も恐るべきはこれまで紡がれてきたダンスの歴史が途絶えることです。”
他者との交流で個の身体を超えた芸術表現を生み出すことがダンスの特性であり、個人の中で創作し完結する芸術作品とは一線を画す点ではある。
だが、コロナ禍は自己と他者のふれあいそのものを封じてしまう。肌の接触、さらに会話そのものに至るまで。
当たり前にできていたことが突然できなくなる。そこに断絶が生じる。できなくなれば継承されなくなり、やがて失われる。コロナの長期化は文化面においても暗い影を落とす。
平原氏の述べている通り、これからもダンス自体は形を変えて続いていくだろう。
が、コロナ禍という認識が遠慮や不謹慎という意識を大衆に植え付けたように、非接触の振付・ダンスを主流に考えざるを得なくなってきてしまった。
現に密に触れ合う振付は避けられ、多人数のダンス作品を創作することが困難になる。出来なければ記憶も技術も錆びついてしまい、やがて再現が不可能となる。平原氏の示唆は大袈裟ではなく、極端に言って仕舞えば永年蓄積されてきた技術が無に帰しかねない。
そんな未来を想像したくはない。誰だって。だが最悪の事態を想定してこそできることもある。特に作り手は危機意識を常に持ち続けているのではないだろうか。
文章からはそれが伝わってくる。コロナ以前から先を見据えて取り組んできたことがコロナ禍で生かされたという経験。
私はあくまで一観客に過ぎないし、作り手と客席の距離はコロナ禍でますます溝が広がってしまったと言わざるを得ない。
作り手にできることと、観客にできることがある。できる限りのことをして、舞台の灯を支えていきたいと思う。
きっとまだまだできることはたくさんあるはずだ。