舞台演劇パンフレット考
告白すると舞台演劇のパンフレットを買って心の底から感激したことがなかった。
無論パンフレットは有難いし、多少の金額を支払って買いもする。
なのに、そのパンフレットに不満を持っている。
買ってるのに?
この矛盾した感情を整理してみることにする。
というのも、先日公演のあった平原慎太郎のプロデュース公演で販売された当日パンフレット「当パン」を目にしたのがきっかけだったりする。
その公演に残念ながら足を運べなかったのだが、この当パンには大いに興奮させられた。
これだ!
私の知るパンフレットが抽象的な読み物だったのに対し当パンは作品に肉薄し具体的なのだ。
これを読んでパンフレットという形態について大いに考えさせられた。
■舞台パンフレットの制作上の問題
その原因は舞台パンフレットの成立過程にあると考える。
パンフレットは勿論、公演初日に間に合うように制作される。
つまり、舞台が未完成の期間に於て企図され、形にし、搬入される。
それはどうしても避けられない。
だからパンフレットの写真は舞台写真ではなく俳優の撮り下ろしカットや稽古風景をポートレートしたものになる。
私にとって、その視覚情報が公演内容と共鳴することが少ない。公演とパンフレットの間に溝を感じてしまう。
それはそうなのだ。
完成品と未完成の状態で編まれた本なのだから。
そもそも制作意図以前に時間的な隔たりがどうしても生じてしまう。
■舞台の核心への言及
そしてパンフレットの多くは公演前にロビーで販売される。鑑賞前に一読する人も多いだろう。
(私もできる限り全文目を通す)
しかしその性質は枷になる。つまりネタバレを極力忌避しなければならないという限界だ。
ゆえにインタビュー記事はその部分に触れない配慮がなされるし、結果として俳優そのもののキャラクター性に重心がおかれてしまう。
制作上の時間的な制約、そして書くれきことが書けるとは限らない制約。
それらの障壁を超えて舞台パンフレットは成立する。
そこに私は読み物として不満を持ってしまうのだ。
■受注販売の可能性
画家・奈良美智の美術展に行った時、驚いたのは展覧会の図録(カタログ)が予約制になっていたことだ。
つまり、会期中にまだ図録が刷り上がっていない。鑑賞者は売店で住所と送料込みの金額を支払い、図録は後日郵送される。
その図録には実際の展示風景まで収められているのは興味深い。
企画展の美術カタログは絵のカットだけ印刷され、絵画の配置やキュレーションについての色はほとんど見られない。
後日発送にすることで制作スケジュールも実際の展示風景を踏まえた構成が可能となる。
同じような経験をギタリスト・Charのコンサートで体験した。
彼はツアーの各会場で録音した音源を全てCD化し、予約販売する。
これも後日、配送して自宅に届けてくれる。
実際見聞きしたものが濃く詰まっているものにはより愛着を感じるのは私だけだろうか。
その隔たりは限りなくないに等しい。自分の感じたものを形にしてくれている安心感がある。
演劇のパンフレットも予約販売し、実際の舞台写真や内容部分に言及した内容にできないだろうか。
なんなら受注販売でも良い。
それなら不良在庫にもならない。
多くの演劇ファンは送料を払っても買うと思う。
■テキストを買う意味
そもそも、パンフレットは有料なのだから舞台内容に言及してもいい気はしている。
無料で配られる小冊子で核心に触れるのは壮大なネタバレになる。
しかし、お金を払ってテキストを買うのだから売店でネタバレ含みますと告知すればいいものではないか。
改めてネタバレといってもよくあるどんでん返しな結末をバラすという意味ではない。
例えばこのシーンにはこういう背景がある、演出の意図、戯曲の工夫…など。
つまり鑑賞者の一助になる制作の裏側を積極的に開示することを指している。
昨今、舞台演劇のチケット代金の高騰は目に余る。
つまり複数回みる余裕のない人もいれば、そもそもチケットが確保できない場合だって考え得る。そもそも一日だけの公演だったりもする。
そうなると一回のチャンスでどこまで感じ取れるか。勿論、予習なしでそのまま感じるまま鑑賞することも面白い。それは人による。
ただ、私はできるだけ予習したい。
コンテンポラリーダンスだと事前にモチーフとなるテーマが開示されることがある。出典はこれで、それをいかなるテーマで振付公演します、云々。
演劇でも原作があればそれで予習できる。
頭に情報を入れることで細かい部分に気づける。
それは間違いないことなのだ。
そのままの鑑賞も、予習込みの鑑賞も人それぞれだ。
だが、予習したい人のために情報をある程度の形で開示してくれるとありがたい。
パンフレットは原則全ての観客の目に触れるものではない。
購入した人が読む。
だからネタバレが嫌なら鑑賞後に読んでくださいと但し書きするのでも良い。
鑑賞のヒントが欲しい人は是非お読みください、そういうスタイルがあってもいい。
■鑑賞後の「あとがき」という発明
思えば数年前、最初に平原慎太郎の主催公演を観に行った時も驚かされた。
公演前に500円(だったと思う)で公演のセリフをまとめた冊子を購入できた。つまり読みたい人はそれを読んだ上でダンスの鑑賞にのぞむことができた。
これが私の演劇パンフレットから感じていた違和感を明瞭にさせた。
今まで読んできたパンフレットには欲する情報が記されていなかったのだ、と。
そして平原慎太郎はさらに先をゆく。
冒頭に挙げた「当パン」には公演後の「あとがき」が載ってある。
見終わった余韻の中で作者の声が響く。
無論それは先に読んでもいい。
「あとがき」だから後で読もうと機転の聞く人もいる。
それはやはり鑑賞者に任されているし、委ねるべきところだ。
それでも、いろんな鑑賞方法があるし、幅広い鑑賞者をカバーするのが理想ではないか。
全ての人たちに迎合することで立派な造本でも当たり障りのないパンフレットは多い。
それでも購入するのはそのカンパニーや俳優、作者、演出家への愛があるからこそなのだ。
その愛に応えてくれるようなパンフレットが私は欲しい。
まだまだパンフレットに臨む希望は山ほどあるが、今日はこの辺で。
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