
春風が運ぶラリー【BASE連携】
この服には、誰かの物語がありました。
袖を通すように、想像しながら読んでみてください。
※前の持ち主をイメージしたフィクションです。
1
2002年、パリ16区。
セーヌ川沿いのカフェに、ひとりの老人が座っていた。
彼の前には白いラコステのウインドブレーカーが置かれている。
「お待たせしました。」
若い男性が席についた。
「君がポールの孫か。」
「ええ、あなたが祖父の友人のジャンさんですね。」
老人は頷き、ウインドブレーカーを指でなぞった。
「懐かしいな。このジャケットを最後に見たのは、もう20年も前だ。」
2
ルイの祖父、ポールは、昔このジャケットを愛用していた。
特にテニスクラブに行くときは、いつもこれを着ていたらしい。
「祖父は、このジャケットのことを何も言いませんでした。」
ルイの言葉に、ジャンは小さく笑った。
「ポールは寡黙な男だった。でも、テニスをしている時だけは饒舌だったよ。」
「でも、ある日突然、テニスをやめたんですよね?」
「ああ……。」
ジャンはカフェの窓の外を見た。
春のパリ、光がゆっくりと揺れている。
「ポールは、大事な試合で負けたんだ。」
「それで?」
「それで、もう十分だって言って、コートにこのジャケットを置いて帰った。」
3
ルイはその話を聞いて、ジャケットの袖をつまんだ。
「でも、これ……祖父のクローゼットにずっとありました。」
「きっと、捨てられなかったんだろうな。」
ジャンはコーヒーを一口飲み、ふっと笑った。
「ポールは勝負の世界からは去ったけど、このジャケットはまだそこにいたってことさ。」
ルイは静かに頷いた。
ジャケットには、まだ祖父の時間が残っている気がした。
「……これ、僕が着てもいいですか?」
「もちろんさ。ポールもそう願ってるよ。」
カフェの外では、テニスコートから響くボールの音が、春風に混じっていた。