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【能登半島地震から1年】この1年を振り返って(執筆:高橋博之)
昨年元旦に起こった能登半島地震から1年が経ちます。発災直後に被災地に飛び込み、緊急支援や復旧復興に最前線で携わってきました。発災直後に行ったのは、ポケマル炊き出し支援プロジェクトです。
能登の冬は冷え込みが厳しく、避難所の体育館の床は冷たかったのを今も覚えています。燃料を節約するためにストーブも火も控えめで、寝袋に毛布を何枚重ねても寒くて眠れないという人が多かったです。避難所に泊めさせてもらった僕も夜中に何度も目を覚ましました。ボランティアが全然いなくて、自分たちで食事の炊き出し、避難所の運営をしなければならず、被災者の皆さんは疲弊していました。非常食の硬いパンを口に入れ、インスタントの味噌汁で流し込んで腹を膨らませている人、5日連続でカップ麺を食べている人など、食事の状況もよくありませんでした。
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全国の生産者の旬の食材で少しでも元気になってもらえればという思いで、雨風太陽として、ポケマル炊き出し支援プロジェクトを速やかに立ち上げました。東日本大震災のとき、岩手県議会議員だった僕は岩手県大槌町を中心に、被災者の声を聞きながら、支援物資の搬送などのボランティア活動に関わりました。あの震災を機に立ち上げたのが「雨風太陽」であり、ポケットマルシェです。僕たちは全国に広がる生産者ネットワークを活かして、避難所での炊き出し支援を全面的にバックアップしていくことにしました。
食材支援を呼びかけるとわずか3日で300名を超える全国の生産者たちから支援の申し出がありました。炊き出し支援プロジェクトに、思わぬ援軍が現れたのは嬉しかったです。ポケットマルシェに登録している生産者から自発的に炊き出し依頼の申し出があったのです。1月19日には、三重県南伊勢町で真鯛を養殖している橋本純さんが4tトラックに水を満載して、能登まで駆けつけてくれました。雪をかぶった能登は息を呑む美しさでしたが、避難所暮らしを余儀なくされている被災者には堪える寒さです。そんな極寒の中、輪島市門前町黒島地区の避難所で鯛めしを振舞うことができました。千葉県銚子市のキャベツ農家の坂尾英彦さんも家族でワゴンに食材を積み込み、能登まで来てくれました。このときは、穴水町甲地区の避難所で、キャベツのつみれ汁が振舞われました。
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「ポケマル炊き出し支援プロジェクト」は、6月でいったん終了としました。被災者の仮設住宅への入居が始まり、地元スーパーなども再開し、生活の基盤が整い始めたことを受けての判断です。最終実績は、炊き出しの回数が42回、炊き出し実施団体が17団体、ご協力いただいた生産者は38都道府県の125名、ご提供いただいた品目数は71品目、提供食材の総重量は3,901キログラム、炊き出しを提供した人数は9,280名となりました。この他にも、輪島市重蔵神社で週に2回継続して行われている食料及び食材配給支援にも、食材を提供させてもらいました。ご協力いただいたみなさんには、改めて感謝を申し上げたいと思います。
【6/1 支援物資配布】
— 重蔵神社 公式X 支援物資・祭礼復活のためのご寄付をお願いします🙏! (@JuzoShrine) June 1, 2024
6月最初の配布日は好天にも恵まれ、たくさんの方がいらっしゃいました。
今日配布した野菜・たまご・お米は株式会社雨風太陽 @hirobou0731 、ポケットマルシェ @pocket_marche… https://t.co/RdsdCcLCwq pic.twitter.com/u55b2uUYag
さて、東日本大震災以降、各地で自然災害が毎年のように続いていますが、能登はこれまでの災害の中で最も支援が困難を極めています。理由のひとつは、被災した自治体の過疎高齢化が著しく、現地で復旧復興を担う若いプレイヤーが限られていること。もうひとつは、半島という地理的閉鎖性もあって、外部からのリソースを集中投下できなかったことが挙げられます。そして追い打ちをかけたのが、豪雨災害です。こうしたことが複合的に影響し、被災地の復旧復興のスピードはなかなか上がらず、さらなる人口流出が懸念されています。
もはや能登に残る人々の力だけでは復旧復興は難しい状況にあります。そうした現実をいち早く直視し、石川県の復旧復興アドバイザリーボード(有識者会議)のメンバーでもある私は、二地域居住を含む関係人口の拡大を復興プランの柱に据えるべきだと提言し、そのように本プランでは盛り込まれました。現在、石川県では、二地域居住を含む関係人口を可視化する登録制度の検討が行われています。そこにもアドバイザーとして関わっています。
関係人口を創出するための具体的な取り組みも行ってきました。1つは、大学生たちが被災地でボランティアしながら被災者と交流する「のと復興留学」の運営です。100名を超える大学生が全国から参加してくれました。都市で生まれ育った大学生たちにとっては能登が第2の故郷のような場所となったようで、これからも関わり続けたいという声が聞かれました。また、慶応義塾大学3年生の学生は能登の魅力に惹かれ、そのまま大学を休学し、輪島市門前町に移住し、現在は町づくり団体のインターン生として活躍しています。
もうひとつは、被災飲食業者たちの生業の再生の一歩として能登空港につくった仮設飲食店街「NOTOMORI」の運営です。地震に加えて火事で大きな被害を受けた輪島市の中心地の中華料理屋さんは、地域住民に愛されてきた町中華です。自宅兼店舗が全焼しましたが焼け跡からまだ使える寸胴が見つかり、心が折れていた店主はこれを見て奥様と再起を決意し、仮設飲食街に入店。10か月ぶりに鍋を振って、腱鞘炎気味になりましたが、生きる気力を取り戻し、外部から支援に入ってきた作業員やボランティア、自治体職員などとの交流を楽しんでいます。来年も、能登の外と中の人が交わり、能登の復興について語り合い、関係人口が創出される場に、育てていきたいと思います。
(執筆:高橋博之)