ずっとKクリーニング店で
夫は着る物には無頓着だが、仕事用のスーツだけは大切にしている。「俺のはKクリーニングに出してくれ」と言う。近所の取り次ぎ店より少々値段が高いが、それぐらいなら夫の希望を叶えてあげようと、年に二回の衣替えはKクリーニング店と決めている。もう二〇年以上のお付き合いだ。
六十代のご主人は、いつも作務衣を着て窓際でアイロンをかけている。話し好きで、景気や年金の話から政治談義になることもある。それでも仕事の手はいつも休まず動き、一枚のワイシャツが仕上がる様子はまさに職人芸だ。
店先で話をしていると、奥さんが明るい声で「いらっしゃい」と顔を出される。伝票を書いてもらいながら、またしばらく世間話をする。失礼ながらご主人にはもったいないほどの美人だ。感じがよくて、Kクリーニング店が繁盛するのは、奥さんの力も大きいなと感じていた。
ところが、五年ほど前からだろうか、その奥さんがお店に顔を出されなくなった。なんとなく気にしてみるものの、店の奥にも気配が感じられないのだった。衣替えの季節が来るたび、Kクリーニング店に行く気持ちが遠のいていった。
たいして変わらないだろうと、近所にある安さが売りのお店に出してみた。しかし返ってきたズボンはプレスが効きすぎて、生地が薄くなったように見えた。Kさんの仕上がりは、折り目がきっちりついているのにふんわりとしているのだ。やっぱりKさんはいい仕事をされるというのが、私と夫の感想だった。
それからは、Kクリーニング店にどっちが行くのかを、お互い意識するようになった。以前は子どもの習い事のついでに私が出していたが、先延ばしにするうち、最近は夫が週末に持っていくことも増えた。
そんな時は、帰ってきた夫に「Kさん、どうだった?」と聞く。「う~ん、奥さんはみえなかったよ」と、いつも同じ返事が返るのだった。
年に数回のことだが、私が行ってもやはり奥さんの姿は見えなかった。奥さんがみえないと何となく話すこともなく、用を済ませるとすぐに帰ってくるようになった。
クリーニングの仕事とご夫婦のことは関係ないが、時々夫とその話になった。「こんな不景気今まで知らんわってご主人言ってみえたけど」「奥さん、家を出てかれたんかな」「でも仲のいいご夫婦だったけど」などと、あれこれ勝手に想像していた。
四人家族だったはずなのに、ご主人以外の人の気配が感じられないのも、私達の想像力をたくましくさせた。
今年の五月のことだった。冬物をお願いするため、久しぶりにKクリーニング店に行った。
ご主人がふと「子どもさんたも、まぁ大きなったやろ」と言われた。私は「高校と中学やで、言うこときかへんわ」と笑って答えた。「早いなぁ」と驚くご主人に、「Kさんとこはもう大人やで、手は離れてみえるもんね」と言った。確か息子さんは跡を継ぐために修業中だったはずだ。
「死んでまったでいかんわ」とご主人は寂しそうに笑った。とっさに私は「奥さん悲しまれたでしょう」と言った。
しまった、まずいことを聞いてしまったという焦りと、今聞かなきゃずっとわからないままだという気持ちが入り乱れた。
「なんでぇ、おかあちゃんも死んでまったがや」と、ご主人がアイロンに目を落とした。
「えっ…」と言った後、次の言葉がすぐには見つからなかった。
五年前に息子さんを病気で亡くされたこと。それから奥さんがふさぎがちになり、三年前甲状腺の病気で亡くなられたことを知った。
淡々と話されるご主人の話を聞きながら、五十代で逝ってしまわれた奥さんに思いを馳せ、涙がこぼれた。
三十歳になる娘さんとの生活に、「あれこれ叱られるでいかんわ」と笑いながら、アイロンを持つ手はいつもと同じように動いていた。
「元気でお父ちゃん支えたってな」「そうやね、体は大事にせんとね」と言って店を出た。帰り道、ご主人の「仕事があったで救われたわ」という言葉を、心の中で繰り返していた。
次はまた半年後だろうか。これからもずっとKクリーニング店にお願いしたいと思っている。
伝票を財布にしまおうとして、ずっと出さないでいたスタンプカードを見つけた。特徴のある奥さんの字で9/8と日付が入っている。いつの九月だったのだろうか。ご主人が元気で仕事を続けられますようにと心で願いながら、その文字をそっと指でなでた。