愛しいななの匂い
休日の朝、庭の芝生に水をまいていると、小さなトカゲが顔を出した。
突然のシャワーに驚いたのか、ガニ股で走って逃げていく。
「そんな慌てんでいいよ。もう誰も取って食わんから」と話しかけると、急に涙がこぼれそうになった。
暑い暑いと言っている間はよかったが、秋の気配にふと寂しい気持ちになる。
この夏の初め、可愛がっていた8歳のラブラドール犬「なな」が、病気で死んだ。
わが子同様のなながいなくなった寂しさは、まだ日々の生活のあちこちに忘れ物のように落ちている。
子どもにねだられ、子犬のななが家に来たのは8年前の春のことだ。
みるみるうちに大きくなり、半年経つ頃には25キロを超えた。
大型犬が自由に走り回れるよう、家庭菜園を芝生の庭にした。
予想以上の大工事になったが、可愛い犬のためならと、大枚をはたいたのだった。
わずか十数坪の庭が、家族と犬の格好の遊び場になった。
ななはボール遊びが大好きで、何回投げても拾って持ってきた。
そしてもっと夢中になったのが、トカゲを追いかけることだった。
野生動物のような勢いで走り、満足げにトカゲをくわえてくるのには驚かされたものだ。
身体が大きく、ペットというより相棒のようなヤツだった。
夏にはブルーシートで作った簡易プールで、冬には雪玉を投げて遊んだ。
天気のいい日は庭先で肩を並べて座ると、ずっと寄り添っていてくれた。
そんな相棒だが、ちょっと困ることがあった。
匂いだ。
まだうちに犬がいなかったころ、大型犬のいるお宅に行ったことがある。
玄関にいた犬の匂いに、あまり洗ってもらえないのかなと思っていた。
ところが実際飼ってみると、ななも相当だった。
洗って十日もする頃には、匂い始める。
うちのドアを開ける人はどう思っただろうか。
しかし愛の力は大きい。
どんなに匂っても、「ななちゃん、大好きだよ」と言いながら、首のあたりに顔をうずめて抱きしめた。
いなくなってから3か月が経つ。
あの愛しい匂いが懐かしい。
先日、近所の犬Jちゃんを連れた飼い主さんが通りかかった。
うちと同じ黒のラブラドールで、一緒にいるとよく姉妹かと尋ねられたものだ。
私に気を遣って、しばらく来ないでいてくれたのだろう。
久しぶりにうちの庭にやって来たJちゃんは、あちこち様子を窺っていたが、すぐに遊び始めた。
ガランとしていた庭に、犬が遊ぶ光景を見るのは嬉しかった。
「Jちゃん、おいで!」と呼ぶと、まっしぐらに走ってくる。
体当たりする力は、ななと同じだ。
私がギュッと抱きしめると、荒っぽく頬ずりを返してくれた。
今朝洗ったばかりだというJちゃんは、やわらかなシャンプーの匂いがした。
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