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『舞いあがれ』に見るキャリア形成②

今週の朝ドラ「舞いあがれ」は、結構身につまされる思いで見ている。

「せめて大学は卒業して」という母親の言葉にグッときてしまって。
その母めぐみも、かつて同じことを経験している。

親というものは、多かれ少なかれ子どもには期待をしてしまうものだ。
自覚のあるなしにかかわらず。
舞ちゃんと同じ年に、息子が退学したいと言い出したときのことを思い出す。

いいよと即答など出来なかった。
何時間もスマホが繋がったまま、無言の膠着状態だった夜が何度もあった。

「退学なんて絶対に認められないから、卒業だけはしなさい」と言うこともできた。
でも、そう言う私は…。

工学部を卒業したら、どこかのメーカーの技術者になるのだろうと思った。
シュッとしたスーツで出勤していく息子のキャリア像を勝手にイメージしていた。

親の勝手なイメージどおりになんて、子どもにしたら迷惑な話なんだけど、まだ若いのに何がわかるのという思いもあった。
親という前に年長者として、いいアドバイスができたらというのは常々思っていたことだ。

息子も相当悩んだ上のことだったと思う。
猛勉強したわけでもなく受かった大学で、何度か行ったマンションに勉強している形跡はなかった。

舞ちゃんのような前向きな思いではなく、どこか逃げのようなものを感じたが、前向きになりたいと模索していることはわかった。

最後の決め手は「最先端のことをやりたいわけじゃない」と絞り出すように言った一言だった。

どんな時も「なるようになる」などと能天気な夫も、ようやく理解したようだった。
住んでいたマンションが9階だったこともあり、取り返しのつかないことになるといかんぞなんて、柄にもなく心配していた。


五島のばんばの「めぐみの話を聞いてやればよかった」という言葉に、心を揺さぶられた。
あの時は仕方なかったんだと思う。

私はあの思い悩んだ日々に、強く言切ることも甘いことを言うこともできず、何も出来なかった反省があるだけだ。

そんな思いもあって、私はカウンセラーになろうと決めたのだと思う。

家族や仕事関係にある人のカウンセリングはできない。
それは私情や利害がからむからって、誰にもわかる。
それでも、これからもし相談されることがあったら、ニュートラルに話を聞いてやりたいなと思っている。
もうないと思うけど。

そして私は、カウンセリングは何か的確なアドバイスをするものではなく、相談者の話をただ聞くものだと学ぶことができた。

カウンセラーになるなんて想像もしていなかった私、キャリアって一生どうなるかはわからない。
不思議なものだ。


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御手洗 育/暮らしのエッセイスト
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