そうだ、私も京都行こう!其の四
東寺の荘厳な仏像を見ていたら、時間が過ぎるのも忘れてしまいそうだった。
帝釈天と聞いて思い浮かぶのは葛飾柴又、そして寅さんだものだから、私の脳内で帝釈天は渥美清さんのイメージだ。
しかし、東寺の帝釈天はイケメンだという。
さらに、イケメン向井理さんの音声ガイドまである。
立体曼荼羅の世界に、ふぉ〜と息を吐きながら、イケメン帝釈天もしっかり見ておこう。
確かに、昭和の映画スターを彷彿とさせるお顔だ。
いや、切長の目なんて若い俳優の、ほらほら誰だっけ(名前は出てこないまま)。
すーっと仏像の世界に引き込まれていく。
イケメンだからじゃなくて、いいお顔を見ているだけで心が癒されていくような時間だった。
★
用事があって京都に行く時は、+アルファの行事をチェックする。
例えば、15日なら百万遍の手づくり市に行こうとか、6月は茅の輪くぐり、12月なら大根炊きあるかなとか。
東寺に行ったのは、6月1日。
調べてみたけれど、特に行事はなさそうだった。
講堂と金堂を見終えて、最後に観智院に向かった。
公式HPには、塔頭の観智院は「大学の研究室」のようなところとある。
そんなら、私毎日働いてますけど。
建物内は撮影不可。
上段の間には、宮本武蔵筆の「鷹の図」の障壁画があった。
そこでボランティアガイドさんのお話を聞く。
ひとり旅だとこういう方とお話ができて、勉強にもなる。
畳の造りや水墨画のお話など、興味深い。
するとボランティアの男性が、次の部屋へと勧めながら「本堂で、たぶんまだー、長者様がお勤めしてはりますけど、遠慮せんと入ってもろて構いませんので。第257世の長者様ですわ」みたいなことを言われた。
私はその、第257世に反応してしまった。
なんという歴史、長者とは住職と同じ意味だとあとで知ったが、弘法大師様から数えて257番目のお坊様がそこにおられる。
有難さ急上昇で、私は本堂に向かった。
本堂と聞いて薄暗い部屋を想像していたが、明るくて大広間のような部屋に、本尊の【重文】五大虚空蔵菩薩があり、その前で長者様がお勤めをされているところだった。
あたりは静まり返っている。
その場にいるのは、第257世長者様と、6,7人の観光客、何かメディアの取材クルー3名だけだった。
お勤めと言えば響き渡るようなお経を想像するのだけれど、2mほど後ろにいるのに声が聞こえない。
「聞こえませーん」という気持ちで、長者のご尊顔を横からこっそり覗き込む。
(ほとんど不思議なものを見たときの小学生レベルだ)
長者様の頬は、明らかに何かを唱えておられるらしかった。
しかし声が聞こえない。
やがて濡れ縁を歩く人がいなくなると、長者様の声がたまに聞こえるような気がした。
でもお経なので、やっぱり何を唱えられているかはわからない。
経本を線香にかざしたり、いろんな形のお道具を上げたり下げたり、動きはそれぞれ意味のあることなのだろう。
すぐに退席するつもりだったが、結局最後まで、たぶん30分ほど見ていた。
お勤めを終えた第257世長者様が、
「あぁ、えらい最後までご一緒くださって」とお声をかけてくださった。
またまた、有難さ急上昇だ。
子どもの喜びそうなご本尊は、5体がそれぞれ獅子、象、馬、孔雀、迦楼羅の上に鎮座されている。
あらためて手をあわせた。
帰り際、雲水(とは言わないかな?)にお尋ねした。
長者様のお勤めは、毎日行われるのですか?と。
すると、毎月1日の行事で、来客や大きな行事がない限り1日にお勤めされるとわかった。
1日はひと月のはじまり。
思いがけない体験をすることができて、有難い一日だった。