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死んだときだよ

父は曾祖父の影響で行儀のいい人だった。
母は、そう行儀がいいわけではないが、私に教えてくれることはよくあった。

そのひとつが「死んだときだよ」というものだ。

夕ご飯の準備をするとき、家族で食べているとき、

箸から箸へ、おかずを渡す。
(箸の作法は他にもあるが、この場合はコレ)
水の中へお湯を注ぐ。
木と竹の箸を同時に使う。

他にも靴を買ってもらった時、履いたまま土間に下りたらあかん、なんてのもあった。

そんなとき母は決まって「それ死んだときやで、やったらあかん」と私に言った。
何かを恐れるような母の顔に、子どもながらに絶対しないでおこうと思ったものだ。

その母が亡くなり、湯灌の儀の時だった。
心の中で何度か「死んだときだから、あかん」と思う場面があった。
当たり前だ。今がまさに死んだときだからだ。
心で苦笑しながら、母に感謝もした。

テレビの料理番組で、料理研究家や芸能人が、鍋の中の料理を食器に盛り付けるとき、逆手で注いでいるのを見る。
(今朝も見たので、これを書きたくなった)
そのたび心の中で「うぁ〜ん、死んだときやであか〜ん」とうめきそうになる。

それも母が亡くなった時のことだった。
湯灌の柄杓を持つ私に係の人が、手首を内側ではなく外側に捻って、お湯をかけてあげてくださいと言った。
かける順番や意味は忘れてしまったが、母の言う逆手だった。

そんなわけで、行儀が良いとは言えない私も、母親の言いつけだけは守っている。
「死んだとき」は絶対やらない。
この年になっても、何か恐くなるのだ。

見ていてもぞわぞわしてしまう。
料理番組出演者の皆様、何卒順手でお願いします。

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