自分とはちがう相手のこと
昨日のカウンセラー勉強会は、基本に返って「準拠枠」の講義だった。
誰もが持っている、自分の準拠枠。
人に優しくしようとか、
責任感を持って仕事をしようとか、
朝、顔を見た人には「おはよう」を言おうとか。
あれ!?それどこかで誰かが言ってなかったかな?
私が「おはようございます」と言ったのに、相手は何も言わなかった。
けしからんやつだ!って。
そんなことを言っていた人がいましたね。
はい、私です。
そう思うのは、自分の準拠枠で相手を見ているから。
「挨拶はしなければならない」という自分の準拠枠があると、挨拶しない人は全員あかんヤツということになる。
そんなの、自分がそう思っているだけのことなのに。
「しなければならない」ではなく、「ま、いっか」と手放せば楽になるということもある。
準拠枠は、子どものころから教わったり押し込められたりして身についた、自分にとっての当たり前だ。
でも、自分以外の人はそうでないかもしれない。
準拠枠は社会生活をする上のTPOでもあり、必要なもので、上手くいっていれば問題ない。
ただ先の挨拶の話のように、誰かに当てはめてみたり、強要しようとしたりすると、問題が発生する。
ならなかったとしても、自分にとってストレスになる。
準拠枠を取っ払えばいいのではない。
それも含めて自分らしさなのだから。
一番大切なことは自分の準拠枠に気づいていること。
私は「挨拶はするべきと思っている」と気づいていれば、それを「こだわり」だと理解できる。
自分のこだわりを相手にも求めるって、その逆を考えてみれば、勘弁してよってことがわかる。
自分の準拠枠に気づいていれば、何かあったとき俯瞰する、客観視することができる。
カウンセリングも同じで、自分の思考の癖や準拠枠を感じつつ、相手の話を聴けばいい。
自分とは違う相手を受けとめる。
言うのは簡単だけど、それがなかなかできないんだよなぁ。