「そこに愛はあるんか」で決める
エッセイやnoteで、タイトルをつけるのが苦手だ。
ただ仕事となると、読んでもらうための工夫をする。
もちろん本文も、箇条書きにするとか、重要なことは最初に言うか最後に書くかなど、読まれる工夫をする。
職場にタイトルと本文が全く違う人がいる。
受信したメールに思いついたことを書いて返信されると、受け取った方は困る。
大事な要件はフラグを付けたりメモしておかないと、受信メールのどこに書いてあったか検索しても見つからないことがある。
何度も振り回されて混乱し、齟齬も起きる。
最近の事件の顛末をnoteに書いた後で、ハッと気づいた。
そこに愛はあるんか?
自分のこと最優先の彼女に、周りは振り回されるし、私が後始末に回ることも多い。
自分以外の人を書くときは、愛を持って書くよう心がけてきたつもりだった。
しかしそれを書く私は、ただ面白可笑しく、さらにストレス発散にしていないか。
そう思って、書いたものを公開するのをやめた。
守秘義務も意識はしているけれど、ここはweb上だ。
周りが大変な思いをしている中、感謝どころかさらに要求が続く。
困った人、そう言ってしまえばおしまいだけれど、もしかして彼女も生きづらさを感じているのではないかと思っている。
自分で始めたことが収拾できない、でもやらねばならない。
凡人の私なら最初からやらないでおくけど、研究者のそういうところは私の理解を超えている。
どこに向かっているのかわからない道を、迷わないよう落とし物を拾い集めてついて行く。
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