メカニックの泣いた日
試験走行が始まると、隣にいる夫の声は聞き取れなくなった。
まさか自分がカーレースを観戦するとは。
SuperGT 2021 最終戦が、富士スピードウェイで始まろうとしている。
自動車販売会社で働いている息子が、今回のレースにメカニックとして参加することになった。
選ばれただけで幸運なことだが、私達家族も観戦に招待された。
SuperGT がどういうものかもわからない私は、ネットの動画を何本も見て予習をしていったのだが、実際のサーキットは想像を超える臨場感だ。
エンジンの爆音と時速300㎞で走り去るマシンは、恐くて見ていられなかった。
やがて、パーティ会場とピットを繋いで、応援メッセージを送るイベントが始まった。
関係者に続き、息子の妻がマイクの前に立つ。
「いい仕事をしてほしい」とエールを送る彼女も、やはり整備士の資格を持っている。
その冷静さに驚いていると、「お母様からも」と前に勧められた。
一瞬、いつものように「Kちゃん」と呼びかけそうになり、言葉に詰まった。
慌てて「お母さんです」と言ってしまい、周りからどっと笑いがおきた。
そして、わけもわからず胸がいっぱいになり、涙声になってしまった。
彼らの仕事が、2人の若きドライバーの命を預かっているのかと思うと、お昼に出された幕の内弁当も喉を通らなかった。
どうか無事に完走できますようにと、祈った。
お母さんの私にできることなど、祈ることしかなかった。
話は6年ほどさかのぼる。
当時、息子は関西の私大の工学部2回生だった。
郊外の緑あふれるキャンパスで、充実した毎日を過ごしているとばかり思っていた。
夏休みに数日だけ帰省したとき、元気がないように見えたが、その秋にはもう中退することを考えているようだった。
深夜、何時間も電話で説得した。
と言っても、どちらも無言で、ただスマホの画面がつながっている状態を示すだけだった。
自分の人生は自分で決めたらいい。
そう思っていた私も夫も、納得するのに長い時間がかかった。
修士でも学部でもいい、卒業してどこかのメーカーに勤める姿を想像していた。
整備士になると決めた息子が、専門学校へ願書を持っていく朝、見送った後でひとり泣いた。
気持ちが追い付いていかない私達親とは別に、息子は次のステージに向かってエンジンを始動した。
それから4年が経ち、一級整備士となってディーラーに就職をした。
私が思い描いていた姿とは違ったけれど、毎日汚れたツナギを持ち帰る姿からは、好きな道を選んだ様子が感じられた。
これでいいんだ。
私は何度もそう自分に言い聞かせた。
そして今、夫とふたりで富士スピードウェイのホームストレートを見下ろす部屋から、必死で青いマシンを追っている。
スタート1分前のアナウンス。
並んだマシンが次々にエンジンをかける。
緑のランプが点灯すると、サーキットは爆音に包まれた。
アクシデントが起きるたび、胸が締め付けられそうになった。
誰もが真剣に戦っている。
予選17番という下位からスタートした青いマシンは、優秀なドライバーの活躍で5位入賞。今季総合2位での表彰台となった。
勢ぞろいしたマシンの横にドライバーが立ち、レースクイーンがポーズを取って撮影に応じている。
観戦会場のモニターからは、ピットの様子が見えた。
音声は聞こえないが、見慣れたツナギの整備士が並んでいる。
レースメカニックが笑顔で何か言葉をかけている。
キャップを目深にかぶって並んだ男たち。
グローブを外した手が、何度も何度も、目のあたりをぬぐうのが見えた。
何を掴んだのだろう。息子たちの一週間の挑戦は終わった。
帰ればまた、お客様の大切な車が待っている。