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カウンセラーになろうと思ったのは
昨日は、月に一度のカウンセラー勉強会に参加した。
涼しくなったこともあり、さぁやろうかという気持ちになって出かけた。
前回から時間が増え、講義とワーク、実習で3時間半になった。
結構長いけれど、一旦集中すればもっともっとという気持ちになってくる。
そこは講師の先生の話の上手さと、お人柄によるところが大きい。
相手の話を聴くというのはどういうことか、毎回いろんな方向から説明してくださる。
理論的にわかったつもりでも、自分にできるかどうかは別だし、クライエントも話の内容も毎回違う。
昨日はちょっとした、いや、大きな気づきがあった。
カウンセリングの中でおきる転移と逆転移について、理解はしていたし、自分はあまりないな…なんて思っていた。
講師の先生ともう一人メンバーの男性が、こんな経験があるという失敗談を話された。
冷静に聞けば、それダメでしょとわかる対応だが
、やってしまいそうだ。
口に出して言わなかっただけで、自分にも経験があった。
ダメな例というのは学びになる。
そんな経験を話してくれたお二人には感謝だ。
自分の中の心の動きを感じつつ傾聴すること、できるようになりたい。
帰り道、メンバーのひとりと話しながら駅まで歩いた。
なんだかお稽古事に似てるけど、自分がどれだけ上手くなったかは目に見えないし、満足してもらえるかどうかも、わからないですよね…と。
それでも、砂山を登るように上を目指したいと思っている。
ところで月曜日はママ友3人でお茶をする予定があり、休暇を取った。
以前一度断っただけに、今回はしゃあない行くかと決めた。
誘ってくれた人が苦手なタイプの人なのだ。
もう一人も少なからずそう感じているだろう。
そんなこともあって、3人一緒の方が都合がいいだろうと、休暇を取って会うことにした。
たぶん二人は喋りにしゃべるだろう。
そう言う私も、波に乗れば喋る。
面白い話題になることを祈ろう。
でも、そうでなくてもいいと思う自分もいる。
今回誘ってくれた彼女と、もう何年も前に二人で出かけたことがあった。
用事が済んでお茶でもして帰ろうとなったのだが、その店でマシンガンのように愚痴を聞かされるとは予想していなかった。
収束させようとあれこれ言ってみるのだが、聞く耳持たずという感じで3時間あまり。
疲れ果てて店を出た。
それから数日ほど体調が悪くなり、早退や休みを取ってボーッと過ごしたのを覚えている。
その経験もあって、カウンセリングを学ぼう思うようになった。
今思えば、こちらが相手の気持ちをちゃんと受け止めていないから、マシンガンも止まらなかったのかもしれない。
そんなことがあった後、有料で聴く人になればいいんじゃないの?と夫が言った。
家の門扉に《1時間5,000円》って書いとけば?などと冗談まじりに。
以前は突然来訪され、玄関先で終わらない愚痴を聞かされることがあったのだが、気づけば最近はもうなくなっていた。
看板は出してないけど(笑)。
素敵なカフェであろうと、美味しいケーキがあろうと、私は全くそれに興味がない。
それより月曜日、何が起きるんだ。
興味のない話や長い愚痴になっても、話を聴こう。
聴かせていただいて、自分の中でどんな思いが湧いてくるのか、それを感じようと出かけていく。
好きか嫌いかでいえば、あまり好きじゃない。
でも、私に気づきをくれた人だから感謝している。
これはプランドハップンスタンスなのだ。
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