検証:『キテレツ大百科』の《勉三さん》モデルはあの《長老》?(家で★深読み)
記事にいただいたコメントに重要な《気付き》があると、「おお!」と、駆け寄ってハグしたくなります。
下記の想い出話の中で、上京して住み始めたアパート下宿で、7浪目に入った《長老》と出会った話を書きました:
この記事に、凛ママ
から、ありがたーいコメントをいただきました。
おお! 懐かしい! キテレツ大百科の勉三さん!
以前書いた自伝的小説の中で《長老》を描いたことがありますが、その時も、《勉三さん》のことはまったく念頭にありませんでした。
「キテレツ大百科」ご存知ですよね? 小学生「キテレツ」が、「~ナリ」が口癖のロボット「コロ助」と共に、ご先祖様の残した書き物をヒントに発明品で問題解決するマンガであり、アニメです。
知らない読者のために、脇役《勉三さん》が活躍する回を貼り付けておきます:
……しかし、境遇や風貌があまりに似ている!
《勉三さん》の人物像を調べてみました:
実は、実在の人物《長老》も、山形県出身だったのです。当然、アニメの「キテレツ」中の《勉三さん》のように、東北訛りで話す人でした。
……これは、単なる偶然ではないかもしれない!
Wikipediaで調べると、藤子・F・不二雄作の「キテレツ大百科」は、家の光協会が発行する小学生向け月刊誌「こどもの光」に、1974年4月号 - 1977年7月号の3年間連載されたそうです。
むむむむ!
私が《長老》と出会ったのは、連載開始の1年後、1975年の4月です。この時7浪目ということは、連載開始時点では《長老》は6浪目に入ったところ、ということになります。
6浪! 《勉三さん》と一致する!
ますます疑惑は深まりました。
Wikipediaの「キテレツ大百科の登場人物」に書かれている、酒好きなところ、一週間同じ服を着ていても平気なところなど、《勉三さん》は《長老》とそっくり、といっても良い(さすがに学生服は着ていなかったけれど)。
アルバイトをしながら生計を立てているが、その性格のために長く勤まらない、という点も共通している。
《長老》が7浪目に従事していたアルバイトは、早朝、国電(今のJR)のホームに、「KIOSK」で販売する雑誌の束を置いて回る仕事でした。
「これなら人と話さなくていいからね」
と言っていたのをはっきり憶えています。
《勉三さん》のように、数々の失敗の末に学んだのでしょう。
仮説:
藤子・F・不二雄さんは《長老》と接点があり、彼を《勉三さん》のモデルにしたのではないか?
《勉三さん》は6浪後に高尾大学経済学部に合格します。
一方、《長老》は7浪目に突入しました(それどころか、さらに1年後、8浪目に入ります)。
ここでふたりは異なる人生に別れるわけですが、これは、藤子・F・不二雄さんがモデルのその後を知らなかったのか、あるいは、
マンガの中ぐらいは「救い」が必要
と思ったのか、どちらなのでしょうか?
ただひとつ、私の知っている《長老》とまったく異なる境遇は、《勉三さん》には、頭良し、顔よし、性格良し、と三拍子揃った彼女(友紀さん)がいる点です。
しかし、私が知り合う前、《長老》に「友紀さん」のような実在彼女が存在したとは考えにくく、やはり、
マンガの中ぐらいは「救い」が必要
ということなのでしょう。
なお、《勉三さん》は6浪後に高尾大学に入ったことから、マンガの舞台を西東京、例えば八王子のあたりではないか、と推測する研究者/ファンがいます。
私が《長老》と出会ったアパート下宿は、中央線の武蔵境駅と西武新宿線の田無駅の中間ぐらいにあり、これも、「当たらずとも遠からず」という感じです。
なお、そこは、藤子・F・不二雄さんや石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんらがかつて住んでいた豊島区のトキワ荘にきわめて近い外観・構造の木造アパート下宿でした。
ということで、《検証》はまだ道半ばですが、
➀ 山形出身
➁ 連載開始時点で6浪
➂ 牛乳瓶底など風貌の類似
➃ 多くのバイトでうまくいかない
という「状況証拠」から、この際、断定しちゃいましょう: