ジジイふたりがホルモン焼いて生ビール呑み語る「人生後半で最も重要なこと」(街で★深読み)
高校・大学時代を通じての友人とふたり、東京・神楽坂のホルモン焼屋でビールを飲んだ。
二十歳前後には私が書いた詞に彼が曲を付けてバンドで演奏していた。
前回会ったのは昨年10月、大学キャンパスのカフェで「胸の谷間の《パラドックス》」について熱く議論して以来のことであーる:
「徘徊」コースもお店も、東京住まいの彼がいつも計画してくれます。
今回は、神楽坂を歩こう、ということでJR飯田橋で待ち合わせしました。
この辺り、中央線と並行に流れる神田川を見て思い出すのは、川の北側が幅こそ狭いが結構深い森で、そこで学生時代のある日、帰宅途中に首を吊った人を見かけたこと。
(こんな所でも人は死ぬんだ……)
神楽坂を下って善国寺(毘沙門天)の少し手前を脇道に入り、
「ここ、ここ」
と亀戸ホルモン神楽坂店に入る。
生ビールに塩ホルモン、レバ刺し(といっても低温加熱済)、ハツ、ハラミ、と注文し、ガンガン焼きながら呑み、喰う。
「Pochiは昔、ヤキトリ屋をやった時に豚のカシラやレバー、小腸なんかの塊りを大量に処理して、もうああいうのは見たくない、って言ってたけど、もう時効だろうと思って」
って、半世紀近くも前の話だろう!
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学園祭で友人たちとヤキトリ屋でひと儲けしよう、ということになり、いわゆる豚モツの卸に行って、いくつかの部位を塊りで買ってきた。
そして、前日、なじみの飲み屋の2階を借りて、それらの塊りを細かく切って串に刺す、という作業を、ほとんど徹夜でやったのだ。
一番グロかったのはカシラ、つまり豚の《顔》である。目玉の部分は避けて買ったというが、黒いヒゲのようなものが生えている ── これが脂がのっていて美味いのだが。
「……これさ、豚じゃん? なのに『ヤキトリ』って売っていいのか?」
「鶏肉の串焼きは『焼き鳥』と漢字で書いてあるんだ。東京では、カタカナで『ヤキトリ』ってのは豚だってみんなわかってるから問題ないのさ」
そんな会話しながら肉を串に刺していったが、本当だろうか?
当時の写真を見てみると、少なくともカタカナではない、ひらがなの『やきとり』のようだ。
「鶏肉」と信じて食べた客もいただろうな……これこそ《時効》!
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「リタイヤした後の人生で、一番大事なことって何か知ってるか?」
友人が問うたのは、私が駅の階段を駆け上がった時に転んで《突き指骨折》した話をした時です。
「── 転ばないことだよ」
「へっ?」
そういえば、彼も5年ほど前に転び、膝の《皿》を割って、入院手術を受けた。リハビリも含め、1年近くかかったという。
「その時はまだ勤めていたんだけど、職場にひとり、尊敬している先輩がいてね、言うんだよ ── ある年齢から上になったら、人生で一番重要なのは、《転ばないこと》だって!」
その人の言うには:
病気は避けようがないことが多いから、なったらなったで仕方がない、だから、病気になる前に気にかける必要はない。でも、転ぶのは注意すれば避けることができる。
「そういえば、ウチの親父はある年齢から常に杖をついて、決して走らなかったな ── 信号が点滅し始めてもまったく気にせず、ゆっくり歩いた ── 『転んだら入院して、ボケるかもしれん……あんたらに迷惑がかかる』といつも言ってたな。で、92で亡くなる日までゆっくりだけど普通に歩き、頭はしっかりしていた」
「お、それは正しいぞ!」
先輩はこんな例も出したという:
「例えば、キミがとても世話になった人の葬式があるとする、その日は雨が降っていて、滑って転ぶ可能性がある ── だったら、葬式には行かなくていい。亡くなった人は、転ぶ危険を冒してまで、キミに葬式に来て欲しいなんて思ってはいない」
「……なるほど」
おそらく、会社員としても優秀な人なのだろう、こういう具体例を挙げて説明するのは ── と思った。
《転ばないこと》の重要さがよくわかる。
しかも、葬儀の本質(若くして亡くなった人は別)も語っているようだ。
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さて、この翌日、高校のクラス会遠足があり、千葉に出かけた。参加者のひとり(♀)がほんの少し、足を引きずっている。
電車が遅れたので乗り換えの駅で走ったら踵に靴擦れができたそうだ。赤い擦り傷が痛々しい。
「乗り遅れてもいいんだよ。約束の時間に間に合わなくてもいいんだよ。ジジババは走ってはいけない ── 人生で一番重要なのは、転ばないことだ」
友人と私はほとんど同時に、同じ教訓を彼女に垂れた。
この続きは……