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なりたかった職業ランキング《第3位:探検家》

3位~1位はnoteのプロフィール欄に挙げているので、以後、少なくとも表題にサプライズはありません。

第3位(同率) 探検家

探検・冒険にあこがれる子供は多い(多かった)はず。女の子より男の子に多いのは、ロビンソン・クルーソーからワンピースのルフィに至るまで、探検・冒険物語(マンガを含む)の主人公に♂が多いからでしょうね。

TVドラマ「3年A組―今から皆さんは、人質です―」の主題歌「生きる」を聴いた時、
 ── 中南米あたりの探検家♬
の所で心がトキメキました。
50代で米国の会社に出向していた3年間、長期休暇には毎年、中南米に出かけていました。
・ペルーのマチュピチュ遺跡やチチカカ湖
・コスタ・リカのジャングル
・ジャマイカの海岸

BGMにどうぞ:

探検家になりたい《原点》は、多くの男子と同じく、ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」と言いたいところです。

作家ヴェルヌは自然科学の論文も読み、
「月世界旅行」
「80日間世界一周」
「地底旅行」
「海底二万里」
と科学的知識に基づいたSF小説をたくさん発表しています。

もちろん、「十五少年…」は名作ですが、私の場合はそれ以前に母に買ってもらった、「無人島の三少年(バレンタイン著)」が最初の《探検モノ》による洗礼でした。
前者ほど知られておらず、既に絶版になっているようです。

この作品「…三少年」は、超・有名な「十五少年…」より30年も早く出版されています。むしろ、ヴェルヌの小説に影響を与えた可能性があります。

無人島に流れ着いた3人のティーンエイジャーが、海中からたどり着ける《ヒミツの洞窟》を発見し、海賊の手を逃れるシーンが圧巻でした。
《秘密基地》ほど、少年たちの心をかき立てる設定はありません

やがて、少年Pochiは、いかだを作って太平洋を横断するという(無謀な)夢を抱きます。
その手始めとして実際、何人かの仲間と、台風で増水した矢田川に素朴ないかだを浮かべて横断しようとします。小学校5年の時です。
途中で怖気づいて断念するのですが、これを見ていた女の子に言いつけられ、担任教師に鞭で叩かれました。
今なら間違いなく「体罰」ですが、男の先生が、
「何かあったらお父さんお母さんがどんなに悲しむか」
と泣きながら鞭をふるうので、なんだか先生に申し訳なく思いましたね。

水泳があまり得意ではなかったからなのか、この頃から関心は海から山に向かい、YMCAの小中学生キャンプに参加するようになります。
さらには高校の部活もワンゲル部を選び、かなり本格的な登山を始めました。

登山に加え、春夏の休みにはバックパッカーと寝袋と周遊券と共に国内各地に出かけ、ユースホステルだけでなく、駅や公園のベンチで泊まる旅を続けました。
国立大学寮を、道場破りのようにアポなしで訪れ、1泊100~300円ぐらいで泊めてもらうのも、高校から大学にかけて私が編み出した旅行法です。
二十歳ぐらいまでに沖縄以外の都道府県を走破し、やはりバックパッカーと寝袋とユーレイルパスで欧州ひとり旅にも出ました。

もちろん《探検》とはとても言えない、単なる《旅》にすぎませんが、幼い頃の夢を引きずっていたことは間違いありません。

妻と付き合い始めた頃、山梨県のそれほど険しくない山に、山小屋1泊予定で出かけたことがあります。
しかし、彼女はすぐに音を上げてしまい、ふたりでの登山はこれ1回きりで諦めました。

その代わり、彼女とは、スケッチブックに行き先を書いて掲げるヒッチハイクと鉄道を組み合わせた旅によく出ました。佐渡に渡る途中、私は新潟大の男子寮、彼女は女子寮に別れて宿泊し、費用の節約をしたこともあります。

けれど、25歳で就職してからは、日々の生活に追われ、すっかり体がなまりました。
一方、妻は50歳を過ぎた頃から《山ガール(ヤマンバ?)》と化し、女性3人組で月1ぐらいの日帰り登山を始めました。
私もリタイアする少し前から山歩きに復帰しましたが、最初はからっきしで、高校時代は問題なく往復した鈴鹿の山で、登りはともかく、くだりに足がガクガクとなり、情けない体になったのを自覚せざるを得ませんでした。

リハビリの成果で最近ようやく妻と対等かそれ以上戦えるようになり、屋久島探検隊で山中雨まじりの中、1日で4万歩22 km歩いたり、冬山をスノーシュー履いて歩きまわったりしています。

つい2週間ほど前には、2年半ぶりに海外の山歩きに出かけ、1日2万歩近く、10日間ほど連続で歩き回りました。
海外旅行はグループツアー参加が多かったので、個人旅行は10年ぶりぐらいでした。
多少の《珍道中》はあったものの、
「まだまだやれるな」
《ジジイ探検家》は思いましたね。

下の写真は、標高2580 mの地で宿泊した早朝、羊飼いの女性が100頭以上の群れを牧草地に連れて行く途中、丘の上のチャペル前を横切った場面です。
右側の尖った山はマッターホルン(標高: 4478 m)
今回のベストショットのひとつです。

早朝、マッターホルンを背に、チャペル前を横切る羊の群れ(@Riffelberg)

このハイキング旅が終わる頃、
「付き合い始めた頃は山歩きが全然ダメだったのに、いつの間にか体力つけたなあ」
と言うと、妻はこう答えました。

「体力は『子育て』でついたのよ。子供を育てるの、ホントにたいへんなんだから。買い物は自転車の前と後ろに乗せて出かけて、帰りは重い荷物がさらに加わるし、アンタは毎日残業か飲み会で深夜に帰ってくるし、土日は休日出勤か小説書いてるかビール吞んでるかで、全然頼りにならない。だから、ずううううううーっと『ワンオペ』が永遠に続いていた……」

(やれやれ……しまった)

それにしても、地球上で《探検》できる場所はどんどん減っていく現在、「なりたい職業」として《探検家》を挙げる子供は少なくなっているのかもしれません。

最近、「大多喜無敵探検隊」の佐奈田隊長を知りました。
隊長の《回顧録》は、懐かしくも面白い!

この「なりたかった職業」シリーズも結局、佐奈田隊長と同じく、《失われた過去への探検》を行っているのかもしれませんね。

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