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《長めの小説》の分割は《試食用》でもある (エッセイ)
noteにアップする長めの小説を《分割》し、各回に[1/4],[2/4]……のように《全分割数の中の何番目か》も明記すると、物語の全体ボリュームがイメージできて、Customer-friendlyだよね、というような話を書きました(↓)。
noterさんからいただいたコメントに応える中で、このエッセイに大事なことが抜けていると気付きました。
紙の本の場合、単行本のような《一気掲載》がいいか、新聞小説や月刊雑誌のような《分割連載》がいいか、は読者の好みや読書スタイルによるでしょう。
既に評判の高い小説だったり、そうではないけど「信用」のある有名作家のものでしたら、「面白いはず」と分厚い本でも読もうと思うかもしれません。
noteでも、既にいくつかその人の作品を読んでいて、個人的に「信用」のあるクリエイターならば長めの作品でも一気読みしようと思うでしょう。
でも、《一見さん》には長めの作品はやはりリスクがあり、読み始めることをためらうかもしれません。
そんな「初見のお客さん」が店先に立ち寄った時には、やはり、「まずひと口」と「試食品」を出さないと食べていただけないかもしれない。
つまり、「分割」は「味見用」でもあります。
もちろん、味見をして、
「好みじゃないな」
と立ち去るお客さんもいるでしょう。
でも、《美味しいかどうかもわからない》フルコース料理の量やサービング時間に怖れをいだいてひと口も試してもらえないより、はるかにいい。
(この比喩路線で表現すれば、《いつ終わるともしれないフルコース》って不安だよね、というのが前回のエッセイ「……悶々」の主題でした)
そうはいっても、例えば10万字ぐらいの小説(紙の単行本1冊になるくらい)を、例えば50分割ぐらいしてnoteに連載するのは、相当な勇気が要りそうだなあ、などと思っています。
それにしても、コロナ禍の2年間、表題写真のような「試食・試飲販売」をめっきり見かけなくなりました。
19歳の頃、金欠時のデートコースとして、彼女とふたり、吉祥寺東急の食品売り場をひと回りしたことを思い出します。
もちろん、《試食》だけで買わない《食い逃げ》ですが、試食販売のお姉さんに、
「これ、美味しいね」
「もうひとつ、もらっちゃだめかな?」
なんて話したりして、こちらはけっこう楽しかったけれど、向こうは迷惑だったのかもしれませんね。
まさか、「三丁目の《熊》」のように思われちゃいなかっただろうな……。
ある時は、試食コーナーで《熊》を見た。
「焼き肉のタレ」会社の販売員が、小さく切った牛ロース肉をタレに漬け、ホットプレートで焼いていた、その前に《熊》は陣取り、小さなプラスチック皿に載った肉片を、焼ける片端から胃袋に放り込んでいた。
それだけじゃない、《熊》は──《ネグラ》から持参したのだろう──白米の握り飯を片手に、試食の焼き肉を「おかず」として、完全なる《食事》モードだった。タスキ掛けにした水筒から、時折お茶まで飲んでいた。
かわいそうに、販売員のオバサンは、ほとんど泣いていた。