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波のように揺れる

気がついたら4ヶ月以上noteを更新していなかった。
飽き性な私のことだからすぐやめるだろうと思ってたけどやっぱりだった。
30年以上の付き合いだから、自分のことはよくわかっている。

ところで先日第二子を出産した。
思えば妊娠期間中から様々なことがあった。
私自身の体調の問題や、病院の都合、生まれてくる本人への考慮など、色々な要素が複雑に絡み合った結果、病院を数カ所転院したりしながら流れ流れて総合病院で出産することになった。

元々産むつもりだった産院は、口コミによるとサービスが行き届いており、非常にご飯も美味しいと有名なところだった。
そこから総合病院に転院することになってとても悲しく思ったのは、偽らざる本音である。
特にご飯。
妊娠中に一度総合病院で入院していたため、大体のクオリティを把握していたことから大変がっかりした。せめて産後の入院中は美味しいご飯が食べたかった。(別に普通に美味しかったが、欲を言えばコース料理が毎食食べたかった)
食欲に忠実でごめん。ごめんね。

そして出産当日。明らかに通常とは違うお腹の痛みで全く寝られず、朝方病院に向かい、そのまま分娩室に入ってその日のうちに第二子が誕生した。

第一子の時には、産まれた瞬間可愛いと思うことができず、不安の方が大きかったが、
第二子の誕生の時は純粋に可愛いなという気持ちでいっぱいになった。
きちんとこの子を愛せるのだろうかと思うことが全くなかった。
ただただ可愛くて、いのちの誕生が嬉しくて、一人で泣いてしまっていた。

そこから怒涛の新生児育児が始まる...かと思いきや第二子は驚くほど寝てくれるため、夜は1回につき3時間近くも寝ることができており
かなりまったりとした育児生活を楽しむことができている。
第一子を抱きかかえて毎晩暗い中狭い部屋をひたすら歩き回っていたことを考えると、あまりの楽さに戸惑ってしまう。
あの時は抱っこしすぎて両腕とも腱鞘炎になってしまった。

育児とは本当に子によるのだなということを実感させられる日々である。

起きている時間が短いため、おむつをかえて、授乳して、たまに着替えさせたりして、そうしたらもう寝てしまう。
ほとんどげんこつやまのたぬきさんのなぞるような育児である。

ただ、日中は絶対にベッドでは寝ないという強い意志を感じるほど背中スイッチが強力で、
トイレにも行けないほどである。
立って抱っこしてひたすら揺れていると気持ちよさそうに瞼を閉じる第二子をみて、やれやれ、という気持ちになることもたくさんある。

たまに、暗い中、スマホの懐中電灯の薄明かりを背にして左右に揺れながら抱っこしないと寝ない夜もある。
そんな時、私はいつも壁に映る自分の影をぼーっと見つめながら、まるで波のようだなと思う。
可愛い我が子を抱えたまま、一定のリズムで寄せては引いて、寄せては引いてを繰り返す波のように、揺れて揺れて、ただ我が子が眠るのを待つだけの時間。

私は今のところ三人目を産むつもりはない。
ということは必然的に第二子が最後の赤ちゃんになる。
第二子に関わる何もかもが、多分私の人生で持てる最後の赤ちゃんとの時間になる。

そう思うと、一見無駄だと思うような夜の時間も途端に大切なものに思えてくるから不思議だ。

きっとすぐ大きくなって私の手を離れてしまうだろうことをうっすら感じつつ、可愛い我が子を大事に抱きしめて、
しかし一方では早く一人で寝てほしいとも思いながら、波のように揺れる時間をゆっくり過ごしたいと思う。

余談だが出産で尾骨におそらくヒビが入り、椅子に座ったが最後立ち上がることもできなくなっていた。ちなみに今もまだ全然痛い。もうだいぶ経つはずなのにめっちゃ痛い。座ってご飯を食べるのもままならない。

出産とは恐ろしいものだ。
病院では、座って授乳している他の産婦さんを横目に見ながら、立って授乳していた。

できたらもう二度と出産を経験したくない、と思いつつ赤ちゃんにはもう一度家にきてほしいと思っているのだから、人間とはつくづく矛盾の生き物だなと思う。

おわり

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