肩こり持ちの14歳が28歳で整体師になって開業するまでの話。#11
研修先の西宮から高崎に帰ってきた次の日。
出勤すると、先輩が片足首にサポーターをして歩きにくそうにしていました。
「ど、どうしたんですかそれ」
「実は洗濯物を下ろすときにバランスを崩しまして」
それは、俗にいう下駄骨折だとかで。
研修先に行ってみれば教えてくれる先生が肋骨を折っていて。
帰ってくれば先輩が中足骨を折っていて。
なんだろう。
私の行く先にいる人たちは骨を折るというジンクスでもあるのだろうか。
話は飛びますが、私の母が旅行なんかで家を離れると、家に何かしらの事件が起こる(床下に仔猫が入り込んで出られなくなる、家族の誰かが事故に遭う、等々)ということが頻発していた時期がありました。
何故だかわかりませんが、母に旅行前に神社とお墓にお参りをしてもらうようにしたところ、ピタッと止まったのです。
もしかして、研修に行く前に私がお参りをしなかったのがいけなかったのかしら……と見当違いの責任を感じていると
「そういえば根岸さん、今日の出勤時間間違えてませんか?」
「へぇっ??」
慌てて手帳をめくると、そこに書いてあったのは
【遅番14:00~】
という文字。
壁の時計を見ると、時刻は16:05を見事に回ったところでした。
「ほんっっっっっとにすみませんでした!!!!!」
ひたすら平謝りする私を前に、店長と先輩はやさしく笑い飛ばしてくれました。
ありえない凡ミス。14時と4時を間違えるなんて。
疲れてたんですねぇ。と笑ってくれましたが、本来なら笑い事ではありません。
まだお店に立つことができない身分だから大きな損害がなくて済みましたが、これが対お客さんの場合だったら致命傷です。
予約の時間を2時間も間違える、なんてことが起こったとしたら目も当てられません。
こんなことは二度としないと心に誓ったのでした。
それから実際にお店に立つようになり、骨格の調整が終わった患者さんのほぐしと、オプションメニューを担当させてもらえることになりました。
嬉しいのが2割、緊張が8割でした。
それこそ最初の頃は、担当が代わるときの「よろしくお願いします」ですら噛みそうになる始末。
一度見本に、と店長と先輩がやって見せてくれた一連の流れが、まるで魔法のように見えました。
すごいなぁ……担当が変わっても流れが止まってない。
患者さんの訴えてた辛さにずっと寄り添ってる。
まだ『当たり前のことができていない』ということがよくわかりました。
自分のことで一杯になってしまっていて、患者さん本位の施術ができていない。
どうやったらああいう風になれるんだろう。
今はひたすら慣れるしかない。
あとは先輩と店長の言動をよく観察して、真似できるところは全部やってみよう。
そんなことを思いながら、月日は流れていきました。
それから数週間経った、とある穏やかな平日のこと。
その日は店長と2人でのシフトが組まれていました。
そして予約の患者さんが少ないため、空いた時間を施術の練習に使わせてもらえるラッキーな日でした。
数名の患者さんを見送った後、店長の体を借りて練習を始めました。
なるべく話しながら施術ができるように、積極的に店長に話しかけながら手技を進めていきます。
どんな流れだったかは忘れてしまいましたが、店長がどうして整体師になったのかを尋ねてみました。
元々は工場で働いていたこと。
それがリーマンショックで仕事がなくなり、辞めざるを得なくなったこと。
とにかく手に職を!と、色んな職業についてみたこと。
そして今のお店のオープニングスタッフとして雇われて、店長になったこと。
初めて聞くエピソードが次々と飛び出して、ずいぶん面白い人生だなぁと思いました。
「じゃあ、いつかは自分のお店を!とかって考えてるんですか?」
冗談半分にたずねてみたところ
「そりゃそうですよ!この仕事選んでる以上そこ考えないと」
思った以上に本気の回答が返ってきてびっくりしました。
そうかぁ……そうだよなぁ。
手に職を持った以上、そこを目指すのは当たり前だよなぁ。
でも店長が独立する、となったときには、当たり前だけど先輩と2人になるってことだよね……
せっかくついこの間出会って、やっとこの人たちと仕事ができるようになったのに。
自分には遠すぎる未来の話を、目の前の人が今現実のこととして本気で考えている、ということに足がすくむような思いがしました。
……なんかよくわからないけれど、聞いちゃいけないことを聞いてしまったかもしれない。
「いいですねぇ。個人的には応援してます!」
でもまぁここには2人しかいないし、いっか!
深くは考えず、先輩と社長の前ではこの話はしないでおこう、と思いました。
いつになるかはわからないけれど、きっと必ずその日は訪れるんだ。
だけどできれば、私がひとりでお店に立てるまで待っててもらえると心強いな。
その日の練習は、店長の本音を聞くことができてものすごくラッキーだった!と思って終わりました。
こういう話を患者さんともできるようになれたらいいのにな、と帰りの車の中で思いました。
それから、数カ月が経ったある日のこと。
その日は、店長と先輩と私の3人が朝から出勤することになっていました。
前日には社長との店舗ミーティングがあり、まだ研修生身分の私は早く上がらせてもらえていました。
朝から3人が揃う日は久しぶりで、今日も色んなことを盗むぞ!と意気込んでいたのですが。
……おかしい。何かがおかしい。
明らかに空気が重たいのです。
挨拶は普通。店舗の空調も照明もいつも通り。内装が変わった訳でもない。
でも明らかに2人の間の空気が重たいのです。
どっちにも話しかけにくいし、どっちにも近づきたくない感じ。
何かなぁ……
もしかして私また出勤時間間違えたかなぁ……
……それとも何かやらかした???
手帳を見ても、記憶を思い返しても、思い当たる節がありません。
でも、何かが起こったことは間違いがなさそうだ。
いつもより壁の時計の秒針の動きが遅いような気がしました。
まいったなぁ。今日は終業時間まで勤務なのに。このままじゃ窒息しちゃいそうだよ。
早く朝一の患者さんが来ないかと思っていると、先輩が言いました。
「今日、夕方に社長が来るみたいなんで。そしたら社長の体を借りて練習しましょうか」
空気が変わったことにほっとして、わかりました!と答えました。
先輩はLINEで社長と連絡を取り合っていたようです。
その後詳しい時間を相談しているとドアが開き、いつも通りの一日がスタートしました。
今日は土曜日。台帳はほぼ予約で埋まっていました。
慌ただしく受付やベッドメイクに追われていると、あっという間に社長がやってくる時間になりました。
先輩の担当されていた患者さんの施術が終わるくらいのタイミングで、ドアのガラス越しに社長が手を振っているのが見えました。
その後、先輩の担当の患者さんを見送ると、
「なんか社長が話があるみたいなんで、事務室に行ってもらえますか?」
と先輩に言われました。
来た!!
やっぱなんかあったんだ!!!!
はいわかりました、と普通に言ったつもりでしたが、内心めちゃくちゃビビっていました。
何があったのかなぁ……
やっぱり私なんかやらかしたのかなぁ……
超絶不安になりながらそっとお店のドアを開け、事務室へと向かいました。
「……失礼しまーす」
おつかれさまでーす、と頭を下げながら事務室に入ると、
「おっ。おつかれー」
と、いつもの調子で社長がこちらを向きました。
どう?慣れた?
いやぁーまだまだっすねぇー。
一通りの近況報告を済ませたあとで、社長が口にしたのは
「実は、田口君が辞めることになった。」
まだまだ遠い未来の話だと思っていたことが
「え……?」
すぐそこまで来ていたという、驚愕の事実だったのです。
『そりゃそうですよ!この仕事選んでる以上そこ考えないと』
あの時聞かせてくれた本音の話。
今朝ドアを開けた瞬間の重苦しい空気。
いつもと違う2人の大きくあいた距離感。
すべての点が繋がって、一気に目の前に押し寄せてきたのでした。
一体、この先どうなるのだろう?
不安で泣きそうになりながら、私は社長の言葉を待つしかありませんでした。
次回に続きます。
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