子宮頸がんになった話

皆さんは「子宮頸がん」と聞いて何を思い浮かべますか?
そして「がんになったら…」という漠然とした不安もあるかもしれませんし、どこか遠い話のように感じる人もいるかもしれません

今は2人に1人ががんになる時代です

何故自分ががんかわかったのか?
自分がどう5年を過ごしたのか?
みなさんの中に一人でもいいのでこれを読んで「検診に行ってみよう」と思ってくださる人がいたら良いなと思い綴ってみます


40歳節目健診

2017年に40歳を迎えた私
市役所から「節目なので検診しっかり受けてね、無料でできるよ」というお知らせが来ました
それまで所属会社で検診は受けていましたが、婦人科は2人目出産後から行っていなかったことを思い出し、「そろそろ婦人科にも行かなきゃいけないなぁ」と申し込みをしました
これはほんとに偶然です
なんとなく「行かなきゃダメだろうな」と思いました
今思うと何か感じ取っていたのかもしれません

コンスタンスに来ていた生理がズレたり、仕事でどうしても行けない、ということが重なり、実際に検診を受けたのは2018年の年明けでした
(この年はホントに酷くて…10月に納車したばかりの車が12月に追突され廃車になる…とか散々な年でした…)

2月末に検診の結果が届きました
「この書類を持って要再検査を!」
そんな内容でした
「これは早くしないとまずいな…」
いつもは腰が重い私もなんとなく早く行かねば…という気持ちになり病院に連絡
電話:書類にはなんと書いてありますか?
私 :開けちゃダメって書いてあるのであけていません
電話:それがわからないとどうしようもないので、開けてみてください
(開封厳禁って書いてあるのに…)と戸惑いながら封を開けて読み上げます
私 :CIN3って書いてあります
電話:…わかりました、では来院の予約を入れます
そう言って3月中旬に予約を入れました

診察はコルポ診だったかな?
数日で結果がでるとのことで後日家族と病院に行きました
結果は…「高度異形成だが子宮頸がんだろう」ということ
「患部を取って診断に回してみないと詳細はわからない」ということでした

そこで、今後の治療方針を伝えられ、
「まず円錐除去術で患部を取ります」と告げられました

1回目の手術

仕事の日程を調整し、4月に1泊2日の入院で円錐除去術をしました
これは局部麻酔で、自分は起きていたこともあり、手術が進む様子を感じていました
(子宮をグイグイ引っ張られるあの感じ…未だに忘れられません)
進行が進んでいた関係か出血が思ったより多かったようで、円錐除去術で患部を取りきることができずに手術が終わりました

後日病院に行き、診断結果「子宮頸がん1a1期※ステージは全部が取り切れていないためそうだろうという判断」という診断を受け、「ここでは今後の治療はできないので紹介状を持って専門病院に行くよう指示されました

2回目の手術

転院先で診察し、5月に円錐除去術で取った部分の病理診断の結果「子宮頸がん1b1」であること、片側の卵巣が腫れていること(多分これは良性だろうという判断)、リンパ節に1つ腫れているものがあるということから「広汎子宮全摘術(但し片側の卵巣は残す)」をするということが確定しました

広汎子宮全摘術なので、子宮・リンパ節・卵巣・卵管を除去するのですが、私は腫れていないほうの卵巣を残しています
片側の卵巣を残したのは更年期障害になるのを遅らせるためでした
(なので現在も排卵はありますし、PMSもあります)

6月末に手術が行われました
手術は無事終わり、2週間ほどで退院することができました

入院中に思ったこと

私は開腹手術だったため、ドレーンなど身体の色んなところから管が出ていました
それが1つ取れるごとに嬉しくて(快方に向かっていると思っていた)
最終的にシャワーを浴びることができたとき、「やっとここまできた」と嬉しくなりました

入院した病院は新しいこともあり、施設が充実していました(各部屋wi-fiがあったとか、テレビも普通に観れたとか)
感動したのは、テレビがネットに繋がっていたので、テレビ視聴だけでなく映画やお笑いの配信が観られたり、テレビでネット検索をしたりラジオに繋げられたり…かなり充実した時間を過ごしました

ただ…開腹手術だったことを忘れ、お笑い番組を視聴して笑ってしまいお腹が痛くなったのは選択ミスったと思いました(痛みが和らいだ後は存分に見ましたけど)

最終診断は「子宮頸がん1b1期」で、先生の方針で追加治療は無し、経過観察のみになりました
卵巣はチョコレート嚢胞でリンパ節も転移では無かったのでそこはホッとしました

経過観察

開腹で子宮全摘手術をすると、神経が近くを通っているため排尿障害になることもある、と言われています
私は担当医のおかげで術後も排尿(出るとか、出たいという感覚)がわからないということは無く、無事過ごしています

経過観察は術後は毎月、その後3年目までは3ヶ月に一度、4年目は4ヶ月に一度、5年目は半年に一度でした
2023年6月で5年経過したのでその後は年に一度診察をすることになります

経過観察での受診は
●問診
●内診、細胞診
●血液検査(腫瘍マーカーや開腹手術による影響を調べるため)
この3つがセットでした
細胞診と血液検査の結果は数日~数週間で自宅に届きます
あと年に一度、造影剤を体内に入れてのCT検査を受けていました

今思うこと

初期症状あったかな?

初期症状は不正出血があったりするのですが…
私の場合、特に思い当たらず…
病気が発覚する前に感じたのは「ここのところおりものが増えたな?」くらいでしたし、「婦人科検診でどうなのか聞いてみるか」くらいの意識でした

メンタル面について

再検査の受診申込の際に知ってしまったワードを検索してしまったので、自分がどういう状況なのかを知ってしまい、動揺しました
その時点では、「がんの前の状況だから、必ずがんになるわけではない」というのも見かけて、それを心の支えにしていた部分もありました
そして、最初に「がん」と言われたときはやはりショックでした
(ショックではあったのですが、なぜか「がん…ガーン…って思わなかったな」と冷静に考えていました)
やはり「がん=死」が頭の片隅にあったので、この言葉心にズシッと重く響いていました
自分の祖父(私の産まれる直前に亡くなっています)もがんでしたし、身近にもいたので、そのイメージがすごく大きかったです
そして、子どもたちの成長はどこまで見守れるのか…ということも心配でした
術前まではメンタル面がしんどくなり、病院内にあった「がん相談支援センター」に駆け込み、話を聞いてもらいました
そこで自分の心の中を出したことで踏ん切りがついたこともありますし、話を聞いてもらえてスッキリとして、「なるようにしかならないし、なんとかなるかも」とちょっと前向きに思っていました

浮腫について

もともと浮腫みやすい体質ではあるのですが、やはり長時間座ったり立ったりした状態だと以前より浮腫みを感じやすくはなっている気がします
なので、医療用ではなく市販の弾圧タイツやストッキングは必要ですし、レギンスだと(足首に何か溜まっている…)と感じることもあります
リンパ節切除をしていたのでやはり浮腫は心配でしたので、病院で相談し「リンパ外来」を数回受診しました
(予防方法や自分でできるマッサージなども指導していただきました)

仕事について

理解のある職場だったこともあり、忙しい時期にも関わらず術後は1ヶ月ほどお休みをいただきました(パートのため無給状態でしたが)
術後も同じ会社でお仕事をしていますが、自分の身体は自分で守るしかなく…
身体に目に見えるような変化があった訳ではないので(開腹ですが、それも普段は服で見えませんし)、「辛そうだね、大丈夫」なんて誰も声を掛けてくれませんから、自分がしんどいと感じたら自分でストップをかけるしかなく…
以前は「全然大丈夫」とこなしていたことも、身体に負担があるとそれがダイレクトに出る(疲れや浮腫など)ようになっています
今までもそういうものが出ていたのかもしれませんが、「気づかなかった」「見ないふりをしていた」のかもしれません

休日はなるべくダラダラと過ごすようにしています
他人には「だらけている」だけに見えるようですが、「そう言われても、他に自分の身体を守ってくれる人はいないのだし…」と思いのんびり過ごしています

最後に

市の婦人科検診のお知らせが来ても、見逃していたらどうなっただろうか…なんて考えることもあります
あの時こうしていたら…と考えればきりがないのですが

「自分の身体が発する信号を見逃さないこと」
これが大事なのでは…と思います
「いつもと少し違うかも…」
そう感じたら、迷わず病院へ!

あと、検診大事!

自分を守ること、大事ですよ!


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