”審判はつらいよ”を読んで
テキ屋の車寅次郎(渥美清)は旅の途中でマドンナと恋に落ち、故郷の葛飾柴又にふらりと戻っては、妹・さくら(倍賞千恵子)やその夫・博(前田吟)をはじめ家族や近所の人たちを巻き込んでひと騒動を起こす。毎度型に嵌ったストーリーながら、要所で見られる寅次郎の考え方には人生の教訓として勉強になることが多い。
とりわけ好きな名言は、大事な妹・さくらとの結婚の許しを乞う後の義弟・博に放った言葉だ。博は結婚の許しをくれない寅次郎に、「なぜ(寅次郎は)僕と同じ気持ちになれないのか?」と尋ねたが、こう返事をした。
自分の考えと同じだろうと、相手に共感を求めたり、相手が自分の思い通りの行動をしないことに不満を持ちたくなるものだが、自分とあなたは別々の人間。そんな当たり前のことを寅さんは教えてくれる。
…..。ん?(´・ω・`)?
あ、本を間違えた(´>ω∂`)てへぺろ☆
今回読んだ本はこちらです。
Xのフォロワーの方はご存知の方も多いですが、私はソフトボールのアマチュア審判をしています。いつも仲良くして頂いてるフォロワーさんからご紹介頂いたこちらの本は全8章構成で、そのうち2章は野球の審判にお話を聞いた内容が書かれていました。
サッカー審判員
プロ野球審判員 (橘高(きったか)さん)
アマチュア審判員 (内海さん)
柔道審判員
ボクシング審判員
飛び込み審判員
ゴルフ競技委員
大相撲立行司
全てのお話が興味深かったですが、今回は野球審判のお2人の話を読んだ感想を書いてみます。
1.プロ野球 元審判員 橘高さん
橘髙淳さんは2022年に60歳を迎え、9月20日の阪神DeNA戦を最後に38年間の審判生活に幕を下ろした。出場試合数は3001。この数字に届いたのは橘髙を含めて19人しかいないそう。
1980年にドラフト外で阪神タイガースに入団。キャッチャーとしてプレーしたが、一軍に上がることなく83年オフに戦力外となった橘高さんは、寮長に勧められて試験を受け、1985年にNPBの審判部入りしました。しかし、プロの審判員はサラリーマンではありません。1年ごとにNPBと契約を更新する個人事業主です。
たまに、SNSでこんな批判を目にします。
「いいよな、審判は。誤審しても職があって。戦力外がある選手の身になって必死に判定しろよ。」
これは、事実では無いです。審判も同じく、年単位で無職になり得る立場の中で、懸命に仕事しています。
それでも人間のやることなので、懸命に仕事をしていても誤審をしてしまうことがありますね。アウトとセーフ、ストライクとボール。これらは、二値化できます。走者が早く塁に達したらセーフ(同時もセーフ)。ストライクゾーンを通ったらストライク。絶対にどちらかに決まります。でもそれは、人間ミスなく判定ができたらの話です。1試合もやっていれば、ゾーンにかかるかかからないかの微妙な球、微妙なタイミング、は起きます。それを毎回ミスなく100%の正答率で判定できると思いますか?二値の境界ギリギリのプレイの判定は極めて難しいです。当たり前にできることでは無いのです。
これもSNSあるあるですが、スロー映像や一部の画像を切り取って、鬼の首でも取ったかのように誤審だ!と審判を批判する投稿。その映像をリピートして見たコメント欄も、審判批判。正直、やめてあげてほしいです。その瞬間に一発で見極めて、チャンスは1回キリ。選手・ベンチ・大観衆が見守る極度のプレッシャーの中、みんなが納得する判定を下すのは、簡単ではなくて難しいのです。
ただ、【審判が毎回正しい判定をするのは難しい】というのは観ている側の人間が審判に配慮し、リスペクトを持って言うことです。審判側の人間が決して妥協して言うことではありません。
私も橘高さんの言葉を胸に、誤審を減らすための審判技術向上に励みたいと思います。そして正しく判定できたとしても、その成果を誇示しないようにする。なお、本書ではアマチュア審判の内海さんも次のように話していました。
2.アマチュア野球審判 内海さん
内海さんはプロ入りを目指して大学卒業時に入団テストを受けるも不合格。プロは諦め、社会人野球の強豪で主力で活躍されて引退。その後のキャリアを模索していたところ先輩に、「大学野球の審判をやらないか?」と声をかけられたが、「立っているだけの審判の何が面白いのですかね?」と返したそうで。そんな内海さんに先輩は激怒したそうです。
本書にて、炎天下で立ちっぱなしのボランティアと称されていたアマチュア野球審判員の実体験談には、同じアマチュアで審判をやっているという点で共通の僕は頷くところばかりで面白く読めました(。'-')(。,_,)ウンウン
(でも、ここで紹介すると自分の審判やってるのが辛いアピールになるから、やめます。笑)
高校野球の審判にも携わる内海さんは、日々の本業のお仕事の傍ら、かなりの覚悟で審判に取り組まれるそうで。
誤審をしてしまい、スタンドのお客さんから野次を受けた経験もあるそうで、審判をやめたくなったことも1度や2度ではないそうです。それでもなお、誤審を反省し、次に同じことをしないように対策して審判技術の研鑽をするそうです。
強靭なメンタルと、意志がなければできないことだと思います。その意志とは、推測するに"選手が試合をするため"に審判をやっているのかと思いました。内海さんの先輩が言ったように。
まとめると、自分以外の誰かのために審判ができるような人間性ができていないと、続けることができないのが審判だと思います。各都道府県高野連の審判員募集要項には、こんな事が書いてあるそうです。
3.審判をリスペクトすること
本書の締めくくりで、筆者はこのようにまとめていました。
審判は、つらいけど、つらいけど、、、でもがんばってるんです。
推しのチームが不利益な判定を受けて、怒りが込み上げるのも分かります。悔しいですよね。
・審判は間違いを認めない傲慢な人間だ
・自分を正当化していて選手への配慮がない
・一生審判をやるな
・こんなことも判定できないなんて能力がない
SNSのに書きたくなる気持ちは分かります。でもその審判員に抱く印象、本当に合ってますか?
スポーツ観戦を趣味として楽しむ側の人の、果たしてどれだけの人が、審判の気持ちを本当に分かった上で発言をしているのでしょうか?それこそ、自分の考えや推しのチームは悪くないということを正当化して、憶測で、審判本人が想ってもいないような間違ったことを、発信していませんか?
ダイバーシティですよ。今の時代。
次回は最後の夏休みの宿題(啓蒙ポスター)。【審判も選手もファンも中立だからこそ誹謗中傷はお互いにしてはいけない】をテーマに描いてみます。
狂気的な絵のポスターをね。 へ(゜∀゜へ)フッフッフッ
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