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悲しい生活

私は鏡をあまり見ない。
子供の頃からずっとである。

小学生の頃、先祖の言い伝えか!
ぐらいに強い意思で
断固として丸刈りを拒否していた私は、慎太郎刈り(所謂スポーツ刈り)で登校していた。なので寝癖は目立たなかったためノホホンと日々を過ごしていた。

中学時代は「なめ猫」「横浜銀蝿」などが
一世を風靡していたヤンキー全盛時代。
私はパンチパーマでヘビメタキッズという
サイコパスな少年であったため寝癖など
気にしたこともなかった。

高校時代はパンクやソウルミュージック、
ロックンロールに目覚めるも何故か引き続きパンチパーマで過ごしていたが、2学年になった頃、パンチパーマを卒業し少しだけ髪を伸ばし始めた。そう、色気づいたのである。パンチパーマが恥ずかしくなったのである。

しかし、男子校でもあり色気づいたはいいが、
周りは男だらけで男友達と遊んでばかりなので
寝癖やオシャレに対しては
これまた、無頓着のまま過ごした。

そんな田舎者でも東京の大学に行きだすと、
周りが変化していることに気づいた。

授業前に彼なりの善意だと思うが
男の同期生に「寝癖ついてるよ」と
指摘されることが多くなったのである。
その都度、シャイニングのジャック・ニコルソンばりの笑顔で「ありがとう」と言っていたが、寝癖がヤツの日常、と周りが気づきだしてからは、表だって指摘はされなくなっていった。

そんなある日、同期生と
コンパに行くことになった。
ヒューヒューである。
場も盛り上がり酒の酔いも回り始めた頃、
そのコンパの席で

同期生A「ねぇねぇ。いつも寝癖だけと…わざとなの?」
私「ちがうで」
同期生A「嘘つくなよー。無造作ヘアー意識してんじゃないのー?」
私「ちがうで」
コンパ女子A「今の髪型も寝癖ですかー?」
私「ちがうで」
コンパ女子B「じゃあ、髪の毛セットしたんですか?」
私「セットはしていない」
コンパ女子A「そうなんですかー。でも、無造作ヘアーみたいでかっこいいですよ。髪型は。」
私「おれ、鏡、見ないんだよね。だからよくわからん。」
同期生A「………」
コンパ女子A「………」
コンパ女子B「………」
私「次の質問は?」
同期生A「文豪きどりか!」

何故に人はこれほどどうでもいいような話をするのだろうか?と思った大学3年の夜でした。

その後、社会に出て
それなりに人と会うようになり
鏡も少しは見るようになり、身なりに気をつけるようにはなったが、それでも、おしゃれさんの極北にいることに変わりはない。

何故、鏡を見ないのかを私なりに色々考えた結果、ある答えが浮かび上がった。

そう、私は私に興味がないのである。

だから、寝癖も気にせずおしゃれも気にせず、
社会に出てからも後先考えずに会社をやめ、
無計画のまま友人と会社を起こし、1年で倒産し、
その後は大学時代からの雑文の仕事や
レコード屋のアルバイトをしながら
音楽に明け暮れ、バンドを解散して
何年間かプー太郎で過ごし
40歳を過ぎて就職し会社員になり今に至る。

将来のことや人生設計など全く考えず
ただ、思いつくまま生きていただけである。

そういえば昔、
漠然と考えていたことを思い出した。

責任を伴う発言を無責任に発言したくない。
負け越しで人生が終わるのならば、
4勝6敗ぐらいで終わりたい。
バカにバカなことを言うなと言うほど
バカらしいことはない。

こんな事を考えた理由は
色川武大さんと松村雄策さんの影響で
あったのであろうな。

2022年3月12日 松村雄策さんが亡くなった。

中学、高校の頃、
夢中でロッキング・オンを読み漁った。
そんな中、私は松村さんの書く、
言葉が好きだった。

大学を卒業し社会に出てからは
ロッキング・オンは
読まなくなったが松村さんの本は買い続けた。
特に「苺畑の午前五時」と「悲しい生活」は
何度も読み返した。
自分でも解らぬほど影響を受けていたことに
松村さんが亡くなってから気づいた。

それは「悲しい生活」を読み返して気づいた。
私と好きなものが、ほぼ一緒だということに
気づいたとき、私とほぼ一緒ではなく、
松村さんが好きだったものを私が、
好きになっていったんだと。

「自由に生きていいんだ」と書いた
松村さんの言葉から、自由に生きるために
私は、私に興味がないのかも知れない、と
今、思っている。


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