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東京酒呑みツアーとkogasisなのだ

マイファニーヒッチハイカーのツアー先で近藤くんが
「カズオくんカズオくん、ヨシロウがギター弾くんだよ」と。
は?
「kogasisで。ドラム高橋くんね」
は?は?「まじかーーーー!!」
「行くでーー 絶対!」
おもむろに近藤くんが携帯越しに話し出す。
「ヨシロウー カズオくん観に来るってさ」

近藤くんが言ったから、12/29はkogasis記念日。

つーことで12/28から前乗りで東京楽しむ!と決め、
12/28と12/29のわたしの全記録を、写真撮り忘れもありまして
googlemapで補完しながら書きたいと思います。
ちなみに「googleも知らない場所」は今回はありませんでした。

わたしは大阪の西区に住んでおります。家の側には道頓堀川と木津川が
流れており、水の都に相応しい情緒がございます。

そんな街をあとにするべく、
午前11時にいそいそと家を出、新大阪へ向かう私であった。

新大阪に着くなり、新幹線遅延のアナウンス。
30分程度の遅れとのことであるが、12/28には大事な約束があるため
少しばかり焦りながら、無事到着した新幹線に乗り込む私であった。

今回の宿は池尻大橋である。チェックインするべくホテルに行くも
チェックインまで30分程度時間があるため、荷物だけ預かってもらい、
戻ってきてからチェックインします、と言ったところ、
「清掃終わってっからチェックインいいよ」とのこと。

その緩さ。。。好き。つーことで部屋に荷物投げ捨て、待ち合わせ場所まで
急ぐ私であった。

田園都市線で水天宮前まで行き、人形町通りを散歩しながら人形町の交差点まで歩く。歳の市の時期らしく、通りの両側に提灯がぶら下がり、
いかにも東京の下町らしい風情あふれる風景に、
コテコテの大阪人の私であるが、粋な江戸っ子らしく、半纏を着た路面店の兄さんに「はえーもんだね〜。もう歳の市の時期っつーんだからよー」と
江戸弁なんぞを使って話しかけたら。華麗にスルーされるも、
気にせず「しえっ(冷える)けど、がんばんなよ」と、
大きなお世話の声を掛け、人形町交差点へ急ぐ私であった。

待ち合わせの場所に、幾分早く着いた私は、近所を少しブラブラするうちにお相手の方が到着し、お目当てのもつ焼きの名店に向かう私達であった。

この細い路地にお店があるのもこれまたいい塩梅である。
下町の名店では珍しく予約ができる店であったため、予約をしていたが
見せ前にはすでに多くの客が並んでおり、言わずもがな期待が高まる私であった。

名物のレバテキ。むん。。。期待しすぎたのかもしれない。
名物だけに、作り置きしていたと思われ、少し冷めており
レーバーも臭みはないが、ただデカいだけであった。
残念である。

低温で調理されたタン刺しは旨かった。。。が、この程度であれば
いくつか知っているお店とそれほどの差はないように感ずる。

奥に見えるもつ煮込みは絶品でした。濃厚な味噌ともつやスジ肉の旨味が交わり、老舗ならではの一品。もつ焼きは美味しかったが、普通でしたな。

世に名店と呼ばれる店は多いが、どの店も名声が広まるのと比例するが如く、質や接客が疎かになっていくように思う。致し方なしと思うが、少し残念に思う私であった。

気を取り直し、押上に移動。

冬の静かな装いの冷気と、ライトアップされたスカイツリーを
二人で眺める。スカイツリーを観に来るのは初めてではないが
前回はクリスマスの時期でプロジェクトマッピングされたスカイツリー広場を一人でブラブラしたが、今回は二人だというだけで、なんて楽しんだろう、なんて思いながら業平近辺をうろつく私達であった。

この橋をわたった先に見える日本酒バーへ入る。
セルフで冷蔵庫から日本酒を取り出し、カウンターまで持っていき、
また、冷蔵庫へ戻すシステムらしいが。。。面倒くさいの一言である。
なので熱燗一合でそそくさと店をあとにし、浅草へ移動することにした私達であった。

まだまだ呑み足りぬ二人を、雷門がお出迎えしてくれた。

浅草寺の五重塔である。ああ。。。夜の塔の美しさよ。

この十字路を左曲がったところに、お相手の方のおすすめのお店があるらしい。写真を取るのを忘れていたが、すでに名店として名が知れ渡っているお店らしいが、先程のお店と違い、全てにおいて趣味が良く、酒、あて、大将の佇まい含め、これぞ下町の心意気、とばかりの名店であった。今回のツアーの最大の収穫。東京での常店になるであろうことを確信した私であった。

まだまだ呑みたらぬ二人。どんだけ呑むねん!とばかりに中目黒へ移動。

夜も遅く、店も閉まっていたりするので、お約束のいろは寿司へ入店。
酒が進むにつれ、お互いの好き嫌いが同じことに、意気投合したり。
仕事やプライベートについてもそれとなく少しずつ話したりして。
ゆっくりではあるが関係性が少しは深まったような気がする、
よき夜であった。
酒が取り持つ縁で終わりたくない、と思った私であった。
まぁ、めちゃ楽しかったのよ。

家が別々の方向のため「カズオくん、あっちね」「私こっちだから」と
反対方向の車線を指され「あっそうすか ありがとやんした」と
別々のタクシーでお別れをした私達であった。

ヒロくん

夜が明け、12/29である。今日のバディは私のマイメン、マイファニーヒッチハイカーのDr、ヒロくんである。ちなみに写真はアー写ですので。悪意等は一切ございません。渋谷で待ち合わせをし、私の学生時代の思い出の街、十条へ向かう私達であった。

東京に上京して初めて住んだ街、十条。
たくさんの、思いでどっさりまいたん(by横浜銀蝿 ilove横浜)。

そんな私が毎日のように通ったからし焼きの名店、「大番」へ
ヒロ君とカラシ焼きを食べにむかったのさ。

厨房ではお父さんとお母さんが切り盛りする。おおきな鍋を手に一生懸命料理を作ってくれている。私が初めて「大番」に来たのは40年近く前であるからして、お父さんもお母さんも当時40代であれば、もう、80歳はこえているのかなー。お元気な姿を見れてグッとくる私であった。

見よ!このビジュアルを!美しき下町のマリアージュの傑作。
からし焼きである。
甘じょっぱく炒めた豚肉と豆腐を、にんにく欠片が丸ごと入った
甘辛醤油スープで煮込んだ、ものごっつ甘い、そして辛い食べ物。
それが、からし焼き。これにライス大と煮干出汁の味噌汁とぬか漬け。
最高である。何一つ変わっていない。

変化?なんすかそれ?である。
取り残されることを恐れずに、時代や流行に流されない姿。。。
私はからし焼きのように生きていきたい、とすら思わせるほどの
感動である。

私達は2匹の獣のように一心不乱に食し、
大満足で店をあとにしたのであった。

北区役所?

食後の散歩がてら、十条近辺をフラフラする私達。
二匹の子猿のようにワキャキャとじゃれ合いながら散歩していると。。
なんだ?これ?北区役所とな?

こじんまりと佇む、ものごっつちっちゃな建物には北区役所の文字が。。。

「ウキキ!カズオさん!これって。。。」
「ウキキキ!北区役所って書いてあるやん」
「んなわけないすよね。。。」
「んなわけないやろ。。。どんだけやねん北区区民。。。」
「いくら箱物に税金使わないって決めていたとしても。。。」
「。。。ま、今やNETで何でもできるしね。。。」
「カズオさん。。。」
「ヒロくん。。。。もう、この話やめよう。。。」

後で調べたところこの建物は「十条地域振興室」とわかった。

当たり前だが、日本の首都である東京の偉大なる北区役所が、
あのような建物のはずであるわけがないのである。
それはもうりっぱな「議事堂宮殿(ルーマニア)」のような
威厳あふれる素晴らしき建物に相違ない!

北区役所

普通やん。つかちょっとちっちゃいやん。
いやいやいや、それには理由があって、下記が理由らしい。

北区役所では、新庁舎の建設予定地およそ1万4000平方メートルを持つ国立印刷局と土地取得に向けた協定を結びました。 区は2019年度までに整備の基本計画をまとめた後に正式に土地を取得し、9年後の2026年度をめどに新しい庁舎を建設する方針です。

ちなみに私が住む大阪市西区役所はこんな感じです。うふふふぃ。

大阪市西区役所

なんかごめんね北区役所。でも安心したぜ、2026年楽しみにしてるぜ!

なんやかんやとありつつも
沙悟浄と猪八戒のいない西遊記のごとく、私達は十条銀座を探索し、
いっこうに減らぬ腹持ちにからし焼きの真の恐ろしさを感じつつ、
腹を減らすために東十条へ向かうことにしたのであった。

「カズオさん!商店街って良いもんですね!」
「そらそやでヒロ君。庶民のデズニーランドっちゅうもんやで ガハハ」
「。。。。。。。。。」

「いろんなお店があって風情がありますねー商店街って」
「そらそやでヒロくん 庶民のジブリパークみたいなもんやで ガハハ」
「。。。。。。。。。。」

「本当にいろんなお店があるから、買い物するのも楽しいでしょうねー」
「そらそうやでヒロくん 
 庶民のイオンみたいなもんやっちゅうねん うふふふ」
「。。。。。。。。。。。イオン?」

「なんか人が少なくなってきましたね」
「東十条へ。。。。。向かっとるさかいに。しょうがないぜよ」
「。。。。。え?」

「ヒロくんよ。。よー見いや。」
「何をですか?」
「この踏切とホームと電車の距離感や」
「近っ!!」
「せや!これが。。。十条や」
「これが。。。。。十条。。。。」

私達は、すっかり人の気配のなくなった路地を、天竺に向かう一行の如く
東十条へ向かう。

ガンダーラー ガンダーラー 
ゼイセイイットワズ イン 東十条〜

区民の憩いの場所。スーパー兄弟見てみたいな。

区役所のダメージからか、こころなし郵便局もちっちゃく見える。

「お!セブンイレブンあるやん」
「カズオさん。。バカにしすぎです!」

「カズオさん すげーツタだらけですよ。ここ。」
「ほんまやなー お?何かの店みたいやで」

「大衆割烹って書いてあります。。。。」
「大衆割烹。。。。。か。。。」
「どうしたんですか?カズオさん」
「あやまれ。。。。」
「ふぁ?」
「世の大衆割烹に謝れっちゅうとんじゃーーーー!!」
「どうしたんですか急に」
「ルナシーのメンバーがハゲててデブやったらどう思う?」
「。。。。別にいいんじゃないですか」
「よくなーい!リュウイチやスギゾー、イノランやJが
 ハゲててデブやったらそれはもはやルナシーではない!。。あ。。。」
「。。。。。。。。。」
「真矢はええねん。。。Drやから。。。。」
「。。。。。。。。。。はぁ」

気を取り直しぐんぐんと進む。
「生意気に横断歩道なんぞ作りよってからに わはは 北区め」
「言い過ぎですよ。。。」

「ヒロくん 見てみいな」
「はい」

「どない思う?」
「何がですか?」

「錆や。。。」
「錆?」
「錆だらけや。。。」
「ですね。。。」
「錆の街 東十条や。。。」
「そうなんですか?」
「知らん。今勝手につけただけや がはは」
「何なんですか一体 あんたは!!」

そんなこんなで東十条駅に到着。
まだまだ腹が千切れそうなので赤羽まで電車で移動することにした。

「異様に長いな。。ホーム」
「いいじゃないですか!長くても!」
「せやな」
「なんだそれ」

赤羽に到着〜。

赤羽も随分と綺麗になりましたなー。

赤羽。赤い羽根。red feather。

赤い羽根の由来には諸説ある。

アメリカのニューオーリンズ市とダラス市で1928年に水鳥の羽根を赤く染めて使われたことにヒントを得た。
アメリカの先住民族は、勇気のある行いや良いことをした人に赤い羽根をつけていたという言い伝えがある。
ヨーロッパのある村で、牧師が道端の樫の木に「与えよ、取れよ」と書いた箱をつるし、困っている人や病人、老人を助けるために寄付を集めたという言い伝えがある。

「大したもんやで。赤羽は」
「はぁ。そうなんですか」
「それに比べて。。。」
「比べて?」
「東十条っちゅうやつは。。。」
「謝れーー!東十条に住むすべての人に謝れーーー!!」

ちゅうことで、一旦解散し、下北沢で夜に再開することになった。

人間ってのは不思議ですなー。
腹千切れそうだったのが、ホテルに帰ってポテチとコーラー食って、
今から、また酒呑みに行こうとするんですから。
どーしよーもねーなー。っつーことでマイバディ・ヒロくんと下北で待ち合わせし呑みに行く。

お目当てのお店が休みだったので、手軽な感じでホルモン食いに。

ホッピー呑みながら。ホルモンをつまみつつ、
音楽の話に花が咲く。

豚軟骨とレバーがめちゃ美味かったからか思いのほか、
ホッピーが進む。

そしていよいよお目当てのQUEへ向かう私達であった。

そう,kogasis。私はこれを見るために東京へ来たのだった。

近藤智洋・岡崎善郎・高橋浩司 
この3人が揃って同じステージ立つ。

これがどれほど凄いことかは、解散後の3人の活動を見てきた人ならば
わかる筈だ。

大げさではない。死ぬまでにもう一度3人が同じステージに立つ姿を
見れるなんて夢にも思わなかった。

そして、Kogasisが始まった。

ビックリするぐらい、近藤くんがかっこいい。
ギターを持たずにステージに立つ近藤くんを見るのは
The Everything Breaks以来だけど、なんだろうなー。
ぜんぜん違うんです。ただただボーカリストとして、
立ち姿が異様なまでにかっこいいのだ。

岡崎くんがギターを弾いてる。荒々しさは息を潜め、佇まいはまるで
哲学者のようだ。
年月を重ね、バンドから離れた時間が今の岡崎くんを作ったんだな。
静かに、それでも確かに何度も何度も何度も聴いた、
岡崎くんのギターの音が、そこにある。

アンコールについては、あえてなにも書きません。
それぞれの想い。それはメンバーの想い、
そしてこの3人を愛したみんなの想いなのだから。

この日、私は確かにいただきましたよ。
3人からのGIFTを。
それは私だけの宝物です。
そしてあの場所にいたみんなにも届いたことでしょう。

ベースが!っっっっ Vーーーーー!!!

佇まいよ。かっこよすぎるやろ。。
guitar philosopher!岡崎善郎!

高橋くんも最高のDr聴かせてくれた。
さすがです!

3人が同じステージに!

高橋くん。。。何に祈った?

最高の3人。いい笑顔だー。


気持ちが追いつかず、打ち上げもそこそこにしてホテルへ帰る。
何故か、朝の7時に目が冷めて、NHKの虎に翼の総集編を見る。
いいドラマだったんですなー。
朝ドラを見る習慣がなかったので、面白さにグイグイ引き込まれましたな。

そして私は、いろんなGIFTを胸にしまい、大阪へ帰りました。

2024年 私自身にもいろんな出来事が起こりました。

楽しいことよりも、悲しいことのほうが多かったと思います。
しかし、それが歳を重ねていくことだと受け止めています。

2025年はどんな一年になるかなー。

みなさんにとって、
そして私にとっても、素晴らしい1年になりますように。

2024年よさようなら。

2025年もよろしくお願いします!

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