⑤[病気の壁を越えて~ルワンダでの新たな奇跡の始まり~] 病気と共に歩む受験勉強
こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。
前回の投稿で、志望校を決めてモチベーションが一気に上がったところまでお話ししました。
今回は、モチベーションは高くても、志望校への熱意はすごくても苦しかった受験期のお話をしていきます。
勉強に励む日々の中で発症した強迫性障害
志望校を決めてからというもの、「絶対にここに行くんだ」、そう思いとにかく勉強していました。
そのころはまだ二年生でしたが、休日には十時間以上勉強するくらい、志望校への熱意は並大抵のものではありませんでした。
しかし、パニックの影響で授業に出られない状況は変わりませんでした。
おまけに、この時期に強迫性障害まで発症してしまいました。
強迫性障害は、絶対に起こらないであろうことまで、自分の中で負の連鎖を想像していき、自分で作った物語にも関わらず、それに不安を抱き日常生活に支障が出るというものです。(症状は個人差があります)
例えば、私はこんなことを想像していました。
"帽子を被って外を歩いていたら、突風が吹き、帽子が飛んでいき、その帽子が走行中の車のフロントガラスに張り付き、運転手が前を見られなくなって事故を起こし、その車に巻き込まれた数台の車に乗っていた人々がけがをしたり亡くなったりしてしまう。”
こんなことが起こる確率は実に低く、普通の人はこんなことは考えないと思います。
しかし私はこのようなことを想像してしまうとともに、この出来事のすべての発端となった帽子を被れなくなってしまうのです。
このように、絶対起こりえないようなことを想像しては、自分の行動を狭めていってしまうのが強迫性障害です。
強迫性障害の症状の中で、高校時代に最も辛かったものは、学校が崩れるという恐怖でした。
築40年という改築をするほどではないけど、綺麗とも言えないような学校に通っていた私は、ある日校舎にあるひびを見て、学校が崩れるという想像が頭から離れなくなってしまいました。
この症状のどこが恐ろしいかというと、元々教室でもパニック発作を起こすような人間が、授業中にこんなことを考えていると、恐怖からくる不安がよりパニック発作を起こしやすくしてしまうということです。
こうして、授業に出られる回数はまたさらに減っていったのです。
しかし、このころは志望校が決まったおかげで勉強に対するモチベーションはかなり高いままだったので、家ではほとんど常に勉強していました。
チックのせいで動く利き手
こうして授業には出られなくとも、家では勉強に励んでいました。
そんな私を次に襲ったのは、利き手のチック症状でした。
文字を書こうとしたら利き手が動いてしまい、まともに文字が書けないのです。(この頃よりはましですが、この症状は大学生になった今でも時々出ます)
前回までにお話したことがあるように、勉強だけは自分を裏切らない、勉強さえ頑張っていればこれ以上落ちこぼれることはない、そう思って私はそれまでの人生を生きていました。
それなのに、チックはそんな私から勉強さえも奪いました。
鉛筆を持たない勉強法はたくさんありますし、受験期には当然そのような勉強法を実践していました。
しかし、この症状が出始めた当初は、唯一の生きがいであり、自分の存在価値を残してくれる勉強を、チックによって奪われたことで、いよいよ本当に私が生きる価値や生きる意味はなくなった、そう思っていました。
こうして、志望校のおかげで何とか保たれていた勉強へのモチベーションは、一気に下がってしまったのです。
この状態から、どうしてルワンダに行こうと思ったのか、どうして受験をする決意に至ったのか、その辺のお話はまた次回させていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。
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