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最大のライバルやもしれぬ【インスタ日記を振り返るvol.3】

「どんなまちでも好きになる」という特技を持ち合わせながら、私にはちょっとした敵対心のようなものを持ってしまうまちがある。頑張っている姿を見ると、悔しくて悔しくて仕方がなくなるような。

そのひとつが、我が故郷北海道勇払郡安平町(ゆうふつぐんあびらちょう。読めないですよね笑)

2019年夏のこと。安平町がすごいことになっているという動向をキャッチした私は、夏休みの帰省で様々な人に話を聞きに行った。せまい町ゆえに、「○○さんとこの娘さん?」「○○さんとこのお孫さんでしょ?」と身元がすぐばれる。それはそれで面白かった。

その時の日記が、このInstagramの投稿だ。

「子育てに特化」したまちづくり

私は故郷の変化に目を見張った。いつの間にか子育てに特化したまちづくりをはじめ、それはそれはびっくりするような取組をはじめていたのだ。ざっくり説明すると以下の3つ。

1.Founding Base
町の雰囲気が変わった理由は様々だと思うが、この会社が地域おこし企業人として関わっているというのがすごい。本当に信じられない。

教えない塾「あびらぼ」で子どもたちに学校では学べないような体験を提供していたり、役場の求人でウォンテッドリーを使ったり、クラウドファンディングの推進事業を行ったり、とにかく地元にいたころには想像もつかなかったような取組を続けている。

2.とにかくすごい「子ども園」
私の時代は公立保育園だったのだが、いつのまにか子ども園になっていた。いつのことだったか…覚えていない。そして今度は民営化された。この子ども園がすんごいのだ。

こども園は町内に2か所ある。一つははやきた子ども園。私が卒園した保育園を前身としている。ここでは園庭でお馬さんを飼ったり、より自由度の高い遊びができるように整えられたりしている。もう一方のおいわけ子ども園では「これ登れるの?」と思ってしまうような、とにかくすごい遊具が園庭にも建物の中にも張り巡らされているというか…(すごすぎて説明する気がない私)。

3.小中一貫校ができるらしい
2018年9月。安平町は大きな地震に襲われた。実家も、じーちゃんばーちゃんちも、倒壊はしなかったものの壁紙はビリビリに破けているし、お皿はことごとく割れて食器棚は以前よりガランとした。

で、私の思い出の詰まった中学校はもう使えなくなってしまった。

そのため再建が必要で、これを機に、なのかなんなのか、新しい公立小中一貫校をつくるらしい。しかもそこにあの「チームラボ」が関わると言うのだ。もう、なんだか信じられない…こちらをご参照ください。

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はやきた子ども園。ぼっとん便所の学童保育所があった敷地に新設


それに対する感情は…「奪われた寂しさ、怖さ」

なぜなのだろう。

「頑張れ!もっと輝け安平町!」

と、素直に思えない私がいる。その素晴らしい取り組みを見たとき、なぜか悲しい気持ちになる。悔しい負けるもんか!という気持ちもあるけれど、同時に寂しさを覚えるのだ。

例えば、大好きで追いかけている銚子市や長柄町やが先進的な取り組みをはじめ、どんどん元気になっていくというのなら、本当にうれしくて、楽しくて、自分も一生懸命に関わろうとする。

なのに、自身の地元の変化には軽い拒否反応を起こしている気がする。じーちゃんばーちゃんも、父母も妹も全然変わらないのに、それを取り囲んでいる町がどんどん変わっていく様子に言い表しがたい寂しさとか、怖さのようなものを感じている。

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ずっと変わらないばーちゃんのごはん

「その町の人」すべてが関わる余地をつくりたい

この拒否反応の根源は、無意識のうちに持っていた「所有意識」ではないか、と思っている。

「生まれ故郷という呪縛」の恐ろしさだ。もはやステークホルダーというにはあまりにも疎遠になってしまっている私にとっても、生まれ故郷は所有物であり続けている。もはや戻ることがあるかもわからない、かつて暮らしていたというだけの「よその町」だというのに、「奪われた」という感覚を持ってしまう。

町の未来を明るく照らすために行なわれている活動に拒否反応を起こしてどうするんだろう。本当に情けないことだ。

ところで、自分も同じことをしてしまってはいないか。

私も長柄町で同じことをしてしまっているだろう。勝手に「ながらこまち」に就任して、この町を元気にしたいと町の人の気持ちも知らずに色んなことをしてきてしまった。「この町の人は別に変化なんて望んでいない」と言われたこともある。本当にその通りだ。私だって、地元の変化はとても怖い。

ただ本当に恐れるべきは、自分の手のうちにあるはずのものが、自分が関わる余地を持てぬまま知らずのうちに変わっていくことだ。

誰一人悲しまない戦略なんて、そうあるものじゃない。だけど、「誰一人取り残さない」のがこれからの社会に求められている。だから、私が「長柄の人」と呼ぶべきは今住んでいる人だけではなくて、かつて住んでいた人も含めた人たちだ。出身者も頭数に入れなくてはならない。こればっかりは、「無理だ」といって諦めたくない。

素直に応援できるよう精進します!

元を正せば安平町が素晴らしい変化を遂げつつあって、悔しいほどに頑張っているというだけだ。「負けた」と思っているだけ。

「安平町?知らない」と言われない未来が来るかもしれない。そりゃうれしいに決まっている。

ということで、頑張れ安平町!



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