私がやりたい「まちづくり」の正体
30年後の自治体の将来を考え、それに向けたアクションプランを実行する。ということは、私がやるべきことではない。今朝そう思った。
「まちづくり」を志して約3年。私がやりたいまちづくりって何なのか、いまいちわからないというのが正直なところだった。ハードを整備して住みよい都市を開発すること、ではなさそうで。かと言って地方創生に特化したいのか?と言われればそういうわけでもなくて。
ただ、あるまちををフィールドに日々の暮らしを営む人たちに、「このまちって面白いんだ!」と思ってもらいたいということはなんとなく思っていた。だから、そのまちが都市部にあるか地方にあるかはそんなに関係なかった。それは、今仕事をする中でまさに実感している。
自治体名を残すこと、はミッションじゃない
不本意ながら東京は品川区民になって1年の私(千葉県民であり続けたかったのに)。「品川区はなくなります、明日から港区です」って言われても、別になんとも思わない。住んで日が浅いからというのはあるかもしれないけど。
だけど、別に暮らした日の浅さは問題じゃないと思っている。
というのも、私が生まれ育った北海道勇払郡早来町が追分町とくっついて「安平町」と名前を変えたところで、別に何も変わりはしなかったという実体験があるのだ。今でも追分は別な町だと思っている。そして、別な町であっても何も困りはしない。追分には何も用事はないから。
そんなことをふと思ったとき、町の、自治体の名前を守ることにいったい何の意味があるのか、もはやわからなくなった。
こんなこと、町役場とか、町の活性化のために苦心してくださっている方々に言ったら怒られるんだろうな。でも、町で暮らす人の本音ってそうなんじゃないだろうか。確かに自治体としての町の経営を頑張らなきゃ、町で暮らす人たちの基本的な生活を支える公共サービスが守られないのだから、人口増やそうとか、観光客増やそうとかするのは当たり前だしやって当然のことだ。けど、実際問題それによって住民にどんな得があるのか。あまりわからない。
シビックプライドの向上がやりたいことのすべて
私がやりたいことは自治体を存続させるための「まちづくり」ではない。それは自治体や地方創生コンサルの方々のミッションである。30年後のためのビジョンを立て、人口減少のペースはゆるやかにし、税収を増やす手立てを考え、存続のために必死に頑張ってくださっている。
だから、公ではなく民間の人間である私がやることではない。やらなくていい。
だから、やるべきことは、ただ今その場所で暮らす人たちが30年経ってもそこで暮らすことが楽しいと思えるような仕組みを作ることだ。個人的な願望としては、その場所で生まれ育った若者が、一度は離れたけどまた戻ってきたいと思えるし、戻ってきたときに実家以外にちゃんと居場所がある状態を作りたい。
学生時代からご縁あって今でも関わらせていただいている千葉県長生郡長柄町が、隣接する長南町や、市原市や、茂原市とくっつく未来だってあるだろう。そうなったとしても、「長柄町」という概念や感覚が完全に消滅することはない。そういうものなのだ。そもそも長柄町という単位だって大きすぎるかもしれない。小学校区、とかでもいいのかも。
ちょっと悲しいけれど、もしそうなってしまったときに、「○○市の長柄地区の人たちって、ほんとに生き生きしてて楽しそうだよね!」と思われるような未来を目指したい。
なんだか、わかったようでわかっていないような気もするけれど、やりたいことは「シビックプライドの向上」がすべてである。かつ、シビックは「ある自治体の構成員としての」ではなく「自分が所属していると実感している範囲のエリアの構成員としての」を指している。
…だから何だ、という話ですが。「やらないこと」を決めるのが大事よってどこかの誰かが言ってたから自分なりの線引きをしてみた次第です。なるほど、じゃあ将来の夢は「スーパー公務員」じゃないね、私。