コロナ禍を「思い出す」
1.マスクはいやだ
3年生になってから、大学のキャンパスにいる時間がうんと増えた。居場所ができたからである。
僕が通う大学では1、2年生は全員が教養課程に所属し、3年生になるとそれぞれ専門の学部学科に進む。3年生になって僕は自分の学科の研究室を使えるようになった。研究室とはいってもソファがあり、大量のマンガがあり、テレビがあり、鍋や食器があり、リビングのようにくつろげる。隣の自習室も使える。雑然としていて最初こそ躊躇したものの住めば都、今ではすっかり居心地のよい場所だ。
ただ僕が研究室にいるようになったのは、単にこれまではなかった溜まり場ができたからではない。研究室にいる人たちがマスクをしていなかったからだ。
べつに僕は陰謀論者ではないのだが、単純にコロナ禍以前からマスクが嫌いだ。メガネが曇るのと、吐き出した息の水分がマスクの裏に付くのがどうしてもいやだ。1、2年生の間も図書館などにいれば大学内に留まることはできたのだけれど、マスクをしないといけない。それはめんどくさい。マスクをしてまで大学に居続ける理由はなかったのである。
しかし研究室にいる先輩たちは、いつからか知らないが特にマスクをしていない(学部からはするよう通達されていたので本当はダメだったのだが、結局クラスタのような大事にはならなかったので、まあいいだろう)。僕がマスクをしていなくても誰も気にしない。ここならマスクしないで勉強できるし、Twitterも見てられるじゃないか!
そんなわけで研究室は僕の居場所になった。まだどこでもほぼすべての人がマスクをしていた2022年夏秋ごろの話である。だから僕にとって研究室は「コロナ禍の終わりの始まり」を告げる場所だったと言えるだろう。
2.アボリジニって知ってる?
話は打って変わって、オーストラリアにはアボリジニと呼ばれる先住民族がいる。彼らは元来文字を持たない。だから僕らのように書き記すのではなく、彼らなりの方法で自分たちの過去の記憶を受け継いできた。歴史学者の保苅実(1971-2004)がその手法について『ラディカル・オーラル・ヒストリー』という本にまとめていて、僕はこの本が大好きだ。ちょっとここで(僕自身の解釈も交えつつ)内容を紹介させてもらおう。
アボリジニにとって、記憶は人間の頭の中に入っているものではない。人間その他の生物の身体、石や木やブーメランといったモノ、川や丘といった場所など、この大地のあらゆるものは記憶を保持している。そしてアボリジニは自らのテリトリーの内外を盛んに移動し、あらゆるものとじかに触れあうことで記憶を継承する。保苅はこの営みを「歴史のメンテナンス」と呼んだ。
これだけでは意味が分からないかもしれない。でも実は、僕らも同じことを常日頃やっていると僕は思う。たとえば僕の自宅近くの公園の話をしよう。公園には砂場がある。小学生の頃、悪趣味にも友達と一緒に落とし穴を掘って、数日後に誰か引っかかったか見に来て楽しんでいた砂場である。僕の脳内にはこの記憶が確かにある。でも普段大学に通って生活していてこの記憶を思い出すことはない。ではいつ思い出すのか?
僕が思い出したのは、偶然この公園を通りかかった時だった。公園という場所にじかに触れたことで記憶が湧き出してきたのだ。あらゆるものが記憶を保持するとはそういうことなんじゃないか。つまり、記憶はたしかに人間の脳内にあるかもしれないが、あらゆる実物は、それに関係する記憶を引き出す力を持っている。触れなければ思い出さないけれど、触れれば思い出す。それは実物そのものが記憶を保持していると言っても過言ではないのだ。
アボリジニは文字を持たないから、記憶を継承するためにモノや場所が持つ「引き出す力」を利用した。長老が村の若い衆を川に連れて行き、ここで昔こんなことがあったのだと話す。きっと若い衆の何人かは老いてもその川を見れば思い出すだろう。そしてまた若い衆に話して聞かせる。アボリジニの記憶はそうやって継承されてきた。逆に言えばアボリジニは開発といった土地改変を嫌うらしい。土地の姿を変えることは、その土地が保持してきた記憶を消しゴムで消してしまうのと変わらない。
3.地に足を
コロナ禍とはいえ、僕はそれなりに充実した大学生活を送ってきたと思う。オンラインでも面白い授業は面白いし、第二外国語のクラスメイトやサークルの仲間とはけっこう仲良くなって(このnote自体、クラスメイトの誘いで書いている)、ZOOMで集まって深夜までわちゃわちゃお喋りしたり、大した回数ではないけれど一緒にタコパしたり旅行に行ったりしてきた。だからコロナ禍以前と比べても遜色ないような楽しい記憶は、たしかにある。
でもそうした記憶が「どこ」に結び付くのか、僕にはピンと来ない。
高校の頃の思い出は、たまに高校に顔を出して教室や理科室(僕は理科部員だった)にたたずんでみるとけっこう思い出せるものだ。普段は思い出さない記憶を引き出してくれる場所があるというのは心強い。でもオンラインでの活動が多くを占めたコロナ禍の大学生活を、僕は場所と結び付けられない。僕はどこにいたんだろうか。この記憶は「地に足が付かない」。
これから先、僕はコロナ禍の記憶をどれくらい、どうやって思い出すのだろう。
この記憶を何が引き出してくれるのだろう。
人やモノや場所との直接の触れあいが減り、その分記憶そのものが実物ではなくバーチャルなものに結び付いた。それがコロナ禍の記憶だと僕は思う。
たとえ楽しい記憶でも、思い出せなかったら無いも同然である。もっとも僕らには書いて残すという手段があるけれど、何でもかんでもは書けないから、引き出してくれる存在が欲しい。僕が公園を偶然通りかかった時のように、何かしらが僕らの記憶を引き出してくれるだろうか。アボリジニの人々がやってきたように、僕らは何度も何度も思い出せるだろうか。
僕はすっかり研究室の住民になった。この部屋にいつまでいることになるかわからないけれど、ここでの記憶はきっと「地に足が付く」。コロナ禍の終わりとともに、僕は再び居場所を手にした。
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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:#いまコロナ禍の大学生は語る|青木門斗|note
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