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【掌編小説】ドクターコバヤシの不運

テーマ:「曖昧」  ジャンル:エンタメ

「K0147よ、どうだ、似合ってるか」
 珍しくグラサンをかけたドクターコバヤシが、光沢生地のスーツの襟をぴっと伸ばしながらターンした。
「ドクターコバヤシ、衣服というものは、体毛の乏しいヒト亜族の体表を保護するとともに、汗の吸収と発散を助け、また体が冷えすぎないようにするためのものです。それなのにボタンを胸まで開け、靴下をはかないのは極めて非合理的と言えます」
「この方がしゃれてるんだよ」
「スーツの紺とシャツのワインレッドは、色相の観点から言えば補色の関係なので悪くはありません。しかしながら、ジャケットとパンツの黄金比を考えますと、ドクターコバヤシは脚の長さが12センチばかり不足しています」
「なに!」
 ドクターコバヤシはグラサンを外しながら大声を出した。とたんにワタシに内蔵されている声の感情解析ソフトが、彼が苛ついていることを告げる。
「ご安心ください。シークレットブーツの着用で多少の改善が見られるでしょう」
「ばかやろ、そんなもんはけるか。というかハッキリ言い過ぎだ。より人間に近づくには、もっとオブラートに包まないと駄目だ、K0147」
 そう言われても、「曖昧」はワタシのもっとも苦手とするところなのだ。ドクターコバヤシは肩をすくめた。
「ったく。円滑な対人関係には、曖昧さが必要不可欠だってのに……。おっ、もうこんな時間か、そろそろ出ないとな」
 ドクターコバヤシは腕時計を見て呟いた。
「どちらへ?」
「どこだと思う」
「デートということはないでしょう」
「なんで違うと言い切れる」
「恋人ができたのですか? ウィキペディアのあなたの頁にある恋人いない歴40年の記述を書き換えておきましょうか?」
「そんなこと書いてあるのかよ! しかし残念ながらデートじゃない。S女子大の講演の講師に招かれたのだ」
「オー、ドクターコバヤシ。TPOの観点からして、その服は講師向きではありません」
「うるさいな。ピチピチの女子大生にモテて、ついでにデートになってもおかしくなかろう?」
「ドクターコバヤシはピチピチの女子大生がお好きですか」
 そう尋ねると、ドクターコバヤシは小さく息をはいた。
「いや、女子大生も好きだけどさ、俺が本当に好きなのは、長い黒髪を後ろできゅっと束ねて、白衣を纏う賢く美しい女性だよ。あの女性とお付き合い出来ればいいけど、俺のことは眼中にないらしい。先だっても食事にも誘ったが、まだ返事がもらえない。人間に近い人工知能搭載ロボットの研究者として、今注目されてる俺だってのによ」
「それで諦めて別の女性とのデートを望むのですね」
「諦めたわけじゃないさ。けど、どうせ見込みは少ないんだし、女子大生とデートくらいしたって罰は当たるまいよ」
「デートの女性には嘘をつくのですか」
「ひと聞きが悪いな。『恋人はいるの?』だの『わたしのこと好き?』だのと聞かれれば『今夜は君しか見えない』とか、『それは君が一番よくわかってるだろう?』とか答えておけばいいだろう」
「ワタシにはよくわかりませんが、それが曖昧ということですか?」
「そうさ。ちゃんと習得しておけよ。おっと、もう出ないと遅れてしまう。……じゃああとを頼むぞ」
 ドクターコバヤシはラボを出て行った。すると入れ違いに、女性が訪ねて来た。ワタシはドクターコバヤシの不在を詫びた。
「いないのは知ってたわ。さっき変な……いえ、個性的な服で出かけていくのを見かけたから。あんな格好でどこへ行ったのかしら? まさかデートじゃないでしょ?」
「デートでないとは言い切れません」
「なんですって!?」
 女性の声のトーンが跳ね上がった。と同時に心拍数も上がった。体調が悪いのでなければ、彼女は昂奮状態になったと言える。どうやらワタシはよくない応対をしてしまったようだ。円滑な対人関係に必要不可欠だという、曖昧さが欠けていたのだろう。
「彼には恋人がいるのね?」
 曖昧な返事が苦手なワタシだが、幸いにして今日はドクターコバヤシの残した回答例がある。
「彼は、今夜は、ピチピチの女子大生しか見えません」
「なんてこと。実は彼に食事に誘われたの。でも自分の研究が忙しくて、ついつい返事がおろそかになってて……。やっと今日、返事をしにきたってのに!」
 ワタシの内蔵サーモグラフィカメラに映る女性の顔が赤く染まっていく。いや、サーモグラフィを見るまでもなく赤い。
「私に気があるようなことを言っていたのに嘘だったのね?」
「それは、あなたが一番よくおわかりでしょう」
「よおく、わかったわ!」
 女性は白衣を翻し、長い黒髪の束を揺らしながらラボを出て行った。
 どうやらワタシはまたも失敗したようだ。曖昧とはなんと難しいことだろう。ドクターコバヤシが帰って来たら、どこが悪かったのか詳しく教えてもらわねば。

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