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出口王仁三郎の予言(4)本当の火の雨とは?

美しい地球に住む親愛なる皆さんへ
いつも「Pneuma」のブログをご覧いただきありがとうございます。

100%の的中率と言われている出口王仁三郎の予言について、何回かに分けて書いています。
今日は、本当の火の雨とは? について書きます。
火の雨と言いますと、ミサイルや原爆などを連想しますが、出口王仁三郎が予言している火の雨は、それとは違うようです。

出口王仁三郎は、「自分はオリオンから生まれ変わって来た」と言っています。
一方の古神道の川面凡児は、「自分は前世ではプレアデス星団の紅の星にいた」と言っています。
聖人や超人は、高度に発達した地球外惑星から、使命をおびて来られている方が多いようです。

この世をこのままに捨ておけば、人民は残らず共倒れとなり、修羅の巷(しゅらのちまた)とたちまち変ずべし。

この悪しき世を、松の世、神世となさんために、天より瑞の御霊(みづのみたま)を降(くだ)したまえり。

出口王仁三郎

「霊界物語」には、艮の金神・国祖国常立尊に敵対する邪神たちの一人、盤古大神塩長彦(ばんこだいじん・しおながひこ)は太陽神界から天則違反を犯して地球へ向かい支那の北方に降臨し、もう一人の大自在天大国彦(だいじざいてん・おおくにひこ)は、天王星から飛来し、北米大陸に降臨したと書いてあります。
さらに、海王星からやって来たタクシャカ竜王(九頭竜)は、地球に大災害を引き起こそうとしたために月照彦という神様に地下の岩窟に封印され、その後改心してと、かくも壮大な宇宙的スケールの物語が大正時代に発表されていたとは驚くべきことです。

本当の火の雨とは?

出口王仁三郎:原子爆弾など神さまの眼から見たら線香花火にひとしい。だが悪魔は今の原爆の何千倍もあるやつや毒素弾など最終兵器を作るので大三災はこれからだぜ。本当の火の雨じゃ。
   
最後には火の雨が降るぞよ。人民三分になるぞよ。

火の雨というのは、火山が噴火して、溶岩が飛んでくることではない、そんなものではない
戦争などもあるが、それよりどこもここもガスだらけになる。
これは大変だよ。その時になってどうするか、という問題もあるんだけど、そんなことを今言ってもみんなにはわからんし、書かずにいるんだけど、結局、この問題で人類が悩むことになり、たくさんの人類が亡くなるようなこともおきるだろう。いずれ時期が来たら書いておきたい

人間が降らしたやつは、お筆先に示されている最後の火の雨とはちがうぞ。
空気の働きが狂うてしもうて電気がおこって火花が散って火の雨が降る。
そのときには人民三分になる。
どうした者が残るかというと、土の空気を吸う。
三分間から五分間、土に口をつけておった者が残る。
それほど皆が天地のご恩を忘れてしまっている。それが最後の時や。

毒ガスよけには、梅干しとラッキョウ、松葉をかむこと、大根やネギを生で食べると良い。
最後になって空気(酸素)がなくなったときには、土に穴を掘って梅干しを口に入れて顔を突っ込んでいたら助かる。

日本は世界の神床だから、これの大掃除が始まる。その大掃除のきっかけが、学と智恵との戦いの正念場だ

大掃除の時は、特に真っ暗になるわけではない。
空に雲のようなものがかかってしもうて、本当の日の光、本当の月の光が見えない。そして星の光も見えんようになる時が来るのだ。

宵の明星が東にまわれば立替立直し近しとあるが、金星のことだ。
(※地球の自転に異常が発生する)

月日と土の恩を知れ、などと言っても今の人にはピンとこないかも知れん。
しかし、ある時期が来たら月日と土の恩を知らなければならんようになるのだ。
何時ということは、今ハッキリといえんが、とにかく月日と土が汚れて、どうにもならん時が来る。

日本は非常に神聖な国土であり、世界から見れば一番神聖な頭脳にあたる。ところがここが一番先に汚れるわい。
しかし大和民族は絶対に亡びるものでない。

出口王仁三郎が予言していた「本当の火の雨」とはミサイルや原爆ではなく、自然現象によって起きる災害であるということです。

「空気の働きが狂うてしもうて電気がおこって火花が散って火の雨が降る。」

なぜ、空気の働きが狂ってしまうのかについては、王仁三郎は述べてはいないようですが、火の雨が降るのは3分から5分間のようです。

もし、このようなことが実際に起きたときは、地面の土に口をつけるか、地面に穴を掘って頭を入れて3分から5分ほど土の空気を吸いましょう。
そうすることで生き残れると言います。

日本の水が、有害とされる化学物質「PFAS」に汚染されていますが、出口王仁三郎は「水」に関してもこのように予言しています。

出口王仁三郎:人間にとって一番大事なのは水である。
水を汚しちゃいかんぞ。
水を汚すという事は神様のごきかんにかなわん。
水だけは大事にせい。
水が汚れて水が飲めなくなった時こそ瑞の御霊(みづのみたま)から見放された時である。
瑞の御霊は生命の源であるから、自分はこのことが非常に気になる。
お土、お松をいただき、梅干を食べ、ラッキョウは内臓によいから絶えず食え。
毎日一つづつでもよいから食え。
足腰をきたえよ。柿を食べよ。新しい動力源がわいてくる。コンニャクも食べよ。

戦争と流行性感冒

出口王仁三郎: 本年(昭和九年)も大分流行性感冒がはやるようであるが、戦争と流行性感冒はつきものである。
あれは霊の仕業である。
近年、満州事変、上海事変などで多くの戦死者を出したが、それに対して、禊(みそぎ)の行事が行われていない。
禊の行事の大切なることは霊界物語に詳しく示しておいたが、昔はこの行事が厳格に行われたから、戦争などでたくさんの死者があっても地上は時々に清められて、流行性感冒のごとき惨害からまぬがるることを得たのであるが、今の人たちは霊界のことが一切分からず、禊の行事などのある事をすら知らぬ人たちのみなるがゆえに、邪気充満して地上は曇りに曇り、濁りに濁り、爛(ただ)れに爛れて、眼を開けて見ておられぬ惨状を呈しているのである。
気の毒にもこうした事情を知らぬ世間の人々は、医師や薬にのみ重きをおいて、焦心焦慮しているのであるが、霊よりくる病気を体的にのみ解せんとするのは愚である。

禊の行事の偉大なる効果を知る人は凶事あるごとに常にこれを行うべきである。
さすれば一家は常にほがらかでめったに病気などには罹らぬものである。

悪神が攻めて来るでえ。
あちらは獣のようなもんやから無茶苦茶しおる。
けど誠の者はどこにいても助かる。
ミロクの世に残されるものは皆神様が守って下さる。女でも汚されない
むこうから見ると梅毒に罹った病人のように見えたり、指一本触れられぬようなけがらわしい姿に見せて下さるんや(※新薬接種で、指一本触れられぬような姿に?)

ミロクの世について出口王仁三郎はこのように予言しています。

ミロクの世になれば宗教はなくなる
宗教はみろくの世になれば無用のものであって、宗教が世界から全廃される時が来なければ駄目なのである。
主義・精神が第一であって、大本であろうと何であろうと、名は少しも必要ではないのである。
今までより広い大きい考えで、世を導く精神にならねばならぬ。
大本は大本の大本でもなく、また世界の大本でもなく、神様の大本、三千世界の大本であることを取り違いしてはならない。
 
みろくの世ともなれば現在のような交通機関は無くなって、非常に進歩したものとなる。

東京~ニューヨーク間は四十五分、地球上のあらゆる地点へ行くのに三時間ですむ

かつて綾部に山上という人が、無限動力を発明するといって、生涯をかけていたが、どうしても判らないといって苦心していたことがある。
それは天界からの内流を頂かないと駄目だといっておいたところ、内流を頂くにはどうしたら良いかと尋ねてきた。
そこで霊界物語を常に拝読して、自己の想念が天界と相応するようになればよいのだと言っておいた。

無限動力といっても、全然無から動力が起きるものではない。
必ずものには原因があり、結果という動力が起こるのであるから、その原因を、石炭とか石油とかに依存せずに、もっと簡単なものを考えればよいのである。
一例を言えば、時計の機械を見ると、人の力、すなわち動因によって、龍頭のネジを掛けると、それからは全部の機械が動く。
動因は人の力にある。
これをもっと進歩させると、なお簡単になる筈である。
智能によって次第に動因が単純化され、簡易化されて来るのである。
石炭に、または石油に依存する時代を過ぎて、無限に宇宙に存在する元素、霊素というようなものが活用され、それが日常の人間生活に応用されるようにならなくてはならない。
飛行機でもまだまだ発展して来るし、ちょっと買い物に行くにも、小型のものを使用して、発着も僅かの場所があればよくなる。
グライダーのようなものが、もっと発達しなくては、そこまでに進歩はできない。
日本に初めてグライダーというものが輸入されたときから、わしはその発達を祈っていた。
関西でグライダー倶楽部ができ、木津川の川原で第一回の試験をしたとき、お前(大国)に行って来いと行かしたのも、そのためであって、次第に発達して立派な交通機関となることを希望し、又みろくの世の交通機関としての第一歩となると思ったからである。
霊界物語の十五巻に出してある天国の場面に、ちょっとその消息を洩らしておいた。
交通機関が、その如くなる頃になれば、通信もまた発達して、宇宙の波動を利用し、実に簡易に通信を交換することもできるようになる。

電線が地上に張りめぐらされているうちはだめな世の中で、『ミロクの世』になればそんなもんはなくなる

貨幣はひとつのしくみに統一され、物々交換も利用される

ロボットが人間に代わって仕事をしてくれるようになる
人間の仕事は一日三時間になる

すべての智能の働きが、物に固着した考え方では、天界からの内流はない。
飽くまでも霊的想念に立脚しなくては内流はこない。
そのために霊界物語によって、人間の神性を発展し、真智を受け入れさせようとしているのであるから、
物語は悉く神界との連絡の綱として神本位、霊界本位となっている。
これを読むうちに人の想念がそうした想念を持つようになると、それが基礎となって、外分的な面が次第に閉ぢ、内分的の方が上方に向かって開けて来るのである。そうして内分的の状態、すなわち意志想念がそうした状態となれば、真智が働くようになり、内流を受け入れる基本的地盤が出来上がるのである。

みろくの世の文化は、そこから出発するのであるから、人間智の時代から神智の時代、天界の光明の流入する時代となる。
それが天にある如く地に成るのであって、天と地が合わせ鏡のようになってくる。
合わせ鏡とは天のすがたが、地に相応して現われるということであるから、天のそのままが地にも出現するというのではない。
相応するのである。
天界は霊的であり、地は物質的である。
その相応は霊的真智が原因となって、物的形式が働くのであるから、非常に高度の文化となるが、人間もまた非常に智的とならなくてはならない。その智的根源は天界の光であるというのである。

生命は神の霊の分魂がその真となっている。
だから生命ある物は悉く神性を有しているのである。
しかしその神性を容れるものは、形であり物である。
ちょうど、水を茶碗に入れると茶碗の形となり、インキ壺に入れると壺の形となる。
そこに差別が存在することになるのであって、現実の世界は物の世界であり、形式の世界である。
その形式は千差万別であって、神の智によって創られているのであるから、神智というものは実に万有一切の組織形式のうちに現われている。
宇宙一切のものを見るとき、神智の現われと直ちに理解することができるようになれば、実に美しく、且つまた偉大なるに感嘆する。
そして、神性を容れ、生命が躍動していると見得るとき、そのままに神の国だと知ることができるのである。
美の世界、真の世界、愛善の世界と感悟するとき、心の底から讃美と感謝の沸き起こるものである。
娑婆即寂光浄土、荘厳なる神の国のすがたが強く心魂に迫ってくるものだ。

人の住宅は高原地帯になる。
大阪でいえば生駒山あたりで、 平地は皆田地にして、交通機関を
十分発達させ、仕事しに平地に降りて来るようにするのである。
大都市が十万で、百貨店みたいになって山陰地方に一つ、山陽地方
に一つというぐらいにして、その地方の人たちは、皆必要なるものは
そこに注文すると、そこで製作して各地へ送るようにする。
家屋は位(職業)に応じて定めるので、壁の塗り方でいえば荒壁、
中塗、上塗、艶出しというふうにするのである。
そのおきてを破った人々は罰として耳飾りをつけるのである。
みろくの世は刑務所はないのである。

人間は、宇宙一切のものを見るとき、すべての人や物が神様の顕現であり、神智の現われと直ちに理解することができるようになれば、犯罪も環境問題も、あらゆる問題が解決します。

出口王仁三郎が言う「霊主体従」について

霊主体従とは、人間の内分が神に向かつて開け、ただ神を愛し、神を理解し、善徳を積み、真の智慧を輝かし、信の真徳にをり、外的の事物にすこしも拘泥せざる状態をいふのである。

かくのごとき人はいはゆる地上の天人にして、生きながら天国に籍をおいてゐる者で、この精霊を称して本守護神といふのである。
至粋、至純、至美、至善、至愛、至真の徳にをるものでなくては、この境遇にをることは出来ぬ。

また体主霊従とは、人間はどうしても霊界と現界との中間に介在するものである以上は、一方に天国を開き一方に地獄を開いてゐるものだ。
ゆゑに人間は、どうしても善悪混交美醜たがひに交はつて世の中の神業に奉仕せなくてはならない。
しかしこれは、普通一般の善にも非ず悪にも非ざる人間のことである。
人間は肉体を基礎とし、また終極点とするがゆゑに、外的方面より見て体主霊従といふのであるが、
しかしながら、これを主観的にいへば霊的五分、体的五分、すなはち、霊五体五たるべきものである。
もし霊を軽んじ体を重んずるに至らば、ここに、体五霊五となるのである。
同じ体五分霊五分といへども、その所主の愛が外的なると、内的なるとによつて、霊五体五となり、また体五霊五となるのである。
ゆゑに霊五体五の人間は、天国に向かつて内分が開け、体五霊五の人間は、地獄に向かつてその内分が開けてゐるものである。

腹が減ると飯が食べたくなる。
それは経験によって人間が修得するものでなく、生まれながらに神から与えられた本能である。
この本能はただ肉体的方面に働くのみでなく、精神方面にも働くものである。
即ち人間の精神が健全であると、物の正邪善悪は、丁度腹の中から空腹を訴えると同様に、心の中から私語(ささや)く声によって判断する事ができるものである。
この「心の中からささやく声」は精神的本能の声である。
(※この声を良心、超意識、直感という)
この精神的本能を目ざめしめ、活力を与えてその力を発揮せしめることが宗教の本来の使命である。
ところが、精神的本能がマヒ状態におちいっているのが今の世の中である。

地上界は、天国と地獄の中間の領域に存在しています。
心が肉体的欲求や我欲に傾き、精神性や意志の力を抑え込んでしまう状態となってしまうと、愛からは遠ざかり心はけっして満たされることのない苦悩のなかを生きていくようになります。
心が神に向かつて開け、ただ神を愛し、神を理解し、善徳から行動すれば、心は愛に満たされ、この上ない幸福のなかで生きていけます。

人間は地上界で生きている限りは、肉体的欲求にも応えねばなりませんので、「霊五分体五分」と王仁三郎は言っているのです。
どちらかに偏りすぎることなく、中道を行けと言った「お釈迦様」と同じことを言っているのだと思います。

手に持っているスマホ、腰かけている椅子、目の前にある机、時計、食器、カーテン、水、石や川や山、草花木、虫、鳥、犬や猫、雲や太陽や月など、宇宙一切のものを見るとき、すべての人や物が神の現われであると思いながら生活することで、心は神に向かって開けていくことでしょう。

「霊界物語」には、迫り来る大峠や一厘の秘密を含む未来のすべてのことが書かれていると言われています。
読んでみても内容が理解できないかも知れませんが、王仁三郎は『わからずとも読んでさえおけばよい。必要なときには内流となって出てくる』と言いました。
たとえ顕在意識ではわかっていなくとも、とりあえず潜在意識にインプットしておけば、将来危機的な状況に陥ったときに、おそらく知らず知らず、無意識にでしょうが、危険を回避する行動がとれるのだと思います。

天浮橋ヒーリング

天浮橋ヒーリングは、天国とあなたとの間に天浮橋を架けなおすヒーリングです。

もともと人間は天浮橋によって完全に神様と繋がっていました。
そこには愛と調和と健康と幸福があり、全てが一体となっていました。
長い年月ののち、人間は物質界の魅惑の虜となり、天界の波動から遠ざかってしまい、神様と人間の天浮橋(つながり)を失ってしまいました。

現在の人間は、神様の偉大なるエネルギーの源との繋がりを失い、神様のエネルギーを体内に取り込む事もできなくなってしまいました。
このため人間は自力で生きていかなければならなくなりました。
それだけでなく神様のエネルギーの源との繋がりが欠如したことで、本来の人間には存在しなかった、不幸、貧困、争い、痛み、不治の病が現われるようになりました。

天浮橋ヒーリングは、あなたと神様のエネルギーの源に天浮橋を架けなおします。
天浮橋を架けなおすことで、不幸も貧困も争いも痛みも不治もすべて癒され、愛と調和と健康の道へと進むことができるようになります。
これまで何をやっても良い方向へ変わらなかった方、改善されなかった方などにもお勧めのヒーリングです。


皆様に沢山の幸せが訪れますように。

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