ただいま #2
背中に背負ったリュックから鍵を取り出そうと、右肩から紐を下ろした。整体師から、身体のバランスが悪く骨盤が歪んでいる、と指摘されて以来、リュックを背負うことにした。リュックなんて、小学生か登山家が背負うものだと思っていたものだから、何十年ぶりかに背負ったリュックは違和感しかなかったし、周りからダサいと思われてやしないか、という恥ずかしさでいっぱいだった。しかし、慣れてしまうまでにそう時間はかからなかったし、それどころか、リュックの楽さに感動まで覚えた。今まで自分がリュックを背負っていなかった期間を悔いた。
リュックの紐が右肩から離れ、重みが完全に左肩にかかった時に気づいた。また、左側である。長い間使っていた、肩から掛けるタイプのカバンは、いつも左肩にかけてしまっていた。リュックにしたところで、左側に負荷をかけてしまう私の癖は、簡単には直らなかった。私は慌てて右肩にリュックの紐を掛け直し、今度は左肩にかかった紐を下ろした。そんなことをしている間にも、リュックの中から鍵を取り出すことは出来たのだろうが、それと引き換えに、私は安心感を得た。
骨盤の歪みを意識するようになってから、姿勢が良くなった気がしている。自分の身体と向き合う時間が増えたのだ。長年付き合ってきたはずの自分の身体のことを、私は大切にしてこなかった。独身時代、ソファで寝そべりながらドラマを見、そのまま寝てしまうのは日常であったし、一週間、大好きなサーモンと納豆ご飯を食べ続けた時もある。冷蔵庫には、一口飲めば羽ばたけそうな栄養ドリンクも常に入っていた。缶を開け、ストローを挿して飲むのが仲間内での常識であった。お風呂に入るのが面倒な時は、体を拭く様のウエットティッシュと、制汗スプレーで乗り切った。結婚してからは、夫の目がある以上、そこまでの醜態をさらしてはいないが、身体への意識の大きな変化はなかった。
私の身体のことは私自身が一番よく分かっているつもりであったし、ちょっとやそっとのことでは倒れない自信もあった。それが、今やリュックの紐をどちらから下ろすかで悩んでいるほどである。これがお腹の子に影響を与えるかどうかは分からなかったが、やれることはすべてやりたかった。
妊娠しているのが分かったのは今から五ヵ月ほど前の、梅雨時であった。最近の梅雨は、どこか体たらくに感じる。ちゃんと雨を降らし続ける梅雨とはご無沙汰な気がした。その日も、梅雨という言葉とは無縁の青空が広がっていた。太陽にさらされた紫陽花は、どこか恥ずかしげであった。病院を出ると、陽の光を存分に浴びた紫陽花が目に飛び込んできた。今日が雨だったなら、もう少し紫陽花を見ていたい気がしたのだが、私は家路へと向かった。
嬉しさよりも不安が勝った。夫へこの事実を伝えたのは、紫陽花を見てから一週間後だった。この一週間も青空こそあまり見えなかったものの、雨は一度も降らなかった。
夫は涙を流して喜んだ。そして、今後の決意を力強く語ってくれた。これがきっと普通なのだろう。きっと夫は良い父親になってくれるはずだ。私だって嬉しい気持ちがないわけではない。しかし、なぜだか夫に合わせて喜ぼうと必死になっているのも、事実ではあった。夫に妊娠を告げた翌朝、カーテンを開けると雨が降っていた。病院の庭に咲いた、紫陽花の様子が気になった。
年の瀬に向け、繁忙期を迎える職場であるのにも関わらず、私はあと一週間で退職することになっている。年内は働こうと思っていたのだが、夫に止められ、来週までとなった。彼は日々、私の身体を気遣ってくれている。幸いにも職場の同僚もみな、私のことを気遣ってくれた。妊娠したことを告げると、職場の店先に並んだ切り花を、それぞれが選び抜き、みんなで花束を作ってくれた。
骨盤の歪みや姿勢を気にする様になってからは、仕事に対する姿勢も変わった。花瓶に収まった切り花が、自分の身体の様に見えた。バランスの悪いものは手を入れ矯正した。自分の作った花束が、前よりも生き生きと見えた。切った花は、命なのだろうか。答えの出る問題ではなさそうだったが、作った花束を見て考え込んでしまった。お客さんに声をかけられ、慌てて商品である花束を渡した。小さな子どもを抱いた、母親であった。
右肩にぶら下がったリュックから、キーケースを取り出し、鍵を鍵穴へと差し込んだ。鍵を戻す時に、キーケースに入っている電車の定期券が目に入った。有効期限は年明けまで続いていた。お腹の子の乗車料金が気になった。この先使わなくなる分は、お腹の子が今まで乗ってきた分として払おう。そう思えた。
玄関に入りドアを閉めようとすると、秋の冷たい風が室内へと吹き込んできた。ふと、向かいの家の庭にある紫陽花が目に入ってきた。花は、朽ち果ててはいるものの、まだ茎にしがみついていた。私は、部屋を背にして呟いた。
「ただいま。」