僕らは、畑を耕し山を開墾するしかないのかもしれない。

表題通りのことを常々考えている。

ベースは限界集落の存在と、都会への人口集中。および諸々の社会問題をボヤッと考えたときに行き着いた答えが「畑を耕し、山を開墾する」ことだった。

畑というのは、年を取るごとに存在がありがたくなってくる。苗は100円から300円程度で売っており、植えて2-3ヶ月待てば作物が成る。

形は不格好で、商品として価値はない。しかし、自分が消費する分には充分である。作物の生りから、植物基準の自然環境が推し量れる。今年はキュウリが良くない、トマトは実が大きい、ジャガイモはよくできたなどで、暑いから良かった、雨が多かったから良かったと考えることができる。

とかく、一人で過ごす分には畑や庭の手入れは運動になる。草むしりはある意味、ジム代わりだし、手入れをした自然というのは、どうも心地が良い。

昨今、環境破壊などが提唱されているが、自然は人が手入れした方が良い。先にも上げたとおり、心地が良い。環境に悪いという人には「放っておいたら2-3年で元通りですよ」と伝えればよい。

お金がなくても「食べるものがある」という環境を自前で用意しておくことは豊かさにつながると思っている。

山については、なんてことはない。身近に脅威を感じられるのにこれほど適した場所はない。

登山をする時は、日帰りなら朝早く、昼過ぎくらいには下山しているのが好ましい。逆をいれば、夕方ですら山は怖い。たった一人、山にいると、木々の高いところに風が吹いただけで、山が自分に語りかけているように感じる。

この感じるという感覚を自然から習えるのは大きい。山に入ると、なにか妙な違和感というを持つことがある。「ああ、今日はこれ以上はやめよう」と思う。反面、歓迎されているように感じることもある。私などは歓迎なのか罠なのか分からないまま、辿る。なお、自分のルールとしては少しでも危険を感じたら引き返す。遭難は人に迷惑をかけてしまうから忍びない。

山に度々行くと、昆虫嫌いだった自分は昆虫をなんとも思わなくなり、軍手やグロープをすれば、ヘビや大型のカエルやカマキリも触れるようになった。蚊に刺されれば1週間は尾を引いたが、かゆみもあまり感じなくなり、数時間も経てば腫れも引く。

社会問題に目を配る。都会の問題は伝え聞こえてくる。あんなに人が多ければ気を使って大変だろうと思う。

限界集落はビジネスには程遠いが、多少大声を出そうが、スピーカーから音楽を流そうが、周辺に人はいないので気を使うこともない。案外、こういう環境の方が伸び伸び暮らせる人は多いと思う。限界集落があるってことは、土地が余っているということで、狭いところよりも広いところの方が良いだろうと思う人はいるだろう。

むかしと大きく違って、インターネットがあればテレワークは出来よう。稼ぎと仕事の稼ぎは、しやすい環境にある。

荒れ果てた田畑を自分で手入れし、心地よい空間を作るというのは、それだけで地域貢献でもあるし、活性化の一助になる。なんといっても気持ちがいい。

土地が足りないであれば致し方ないが、余っているのなら伸び伸びと使えば良いのに。というのが表題におけるひとつの結論である。

閉じ込められて暴れてしまう人がいる。自然に立ち向かってみると、木を一本倒すのですら骨が折れる。そこで自分の無力さを感じ、身の丈を知るというのは生きやすさにつながると思う。

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