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令和の時代における”社会的共通資本”からポストコロナの医療・官僚機構を考える【PMI ThinkTank】

1. はじめに

PMI Bureaucrat Communityでは、官僚の方を中心に定期的な勉強会を行っております。今回は、内科医であり、経済学者宇沢弘文の長女でもある、占部まり先生をお招きし、「令和の時代に考える”社会的共通資本”」と題して、勉強会を開催しました。

2. ゲスト紹介

占部まり 医師
-ご所属-
内科医、宇沢国際学館代表取締役

-ご経歴-
1965年シカゴにて宇沢弘文の長女として生まれる。
1990年東京慈恵会医科大学卒業。
1992~94年メイヨークリニックーポストドクトラルリサーチフェロー。
地域医療に従事するかたわら宇沢弘文の理論をより多くの人に伝えたいと活動。
2015年3月には国連大学で国際追悼シンポジウム開催、2019年に日経SDGsフォーラム共催『社会的共通資本と森林』『社会的共通資本と医療』など。

3. 講演内容

今回の勉強会では、「① 社会的共通資本とは」「② 医療の現状と今後の可能性」「③ 官僚機構に期待すること」の3つのテーマを軸に、占部先生からご講義をいただくとともに、ディスカッションを行いました。

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① 社会的共通資本とは

最初のテーマでは宇沢弘文先生が提唱された「社会的共通資本」の考え方について、宇沢先生がその考えに至った経験や過去など、占部先生ならではのサイドストーリーを交えつつお話しいただきました。

<社会的共通資本とは>
ひとつの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能とにするような社会的装置のこと。
自然環境(大気、森林、河川など)、社会的インフラストラクチャー(道路、上下水道、電力・ガスなど)、制度資本(教育、医療、司法、金融制度など)の三つの大きな範疇に分けて考えることができる。
(宇沢弘文(2000).社会的共通資本 岩波書店)

ー 宇沢弘文の「社会的共通資本」の考えの根底に流れているのは、「みんな違ってみんな良い。大事なものはお金に換えられない。」という考えです。「自由論」を著したジョン・スチュアート・ミルは経済の「定常状態」を「経済が右肩上がりでなくても成立する豊かな社会」として捉えましたが、宇沢はこの「定常状態」を実現するために必要な構成要素が「社会的共通資本」であると主張しました。

ー 宇沢は新自由主義的な思想を好みませんでした。「選択の自由」を著したミルトン・フリードマンについて、自己の研究における突き詰める姿勢は高く評価していましたが、一個人としては複雑な感情を抱いていたようでした。

ー シカゴ大学で教授職を勤めていた宇沢が日本に帰国し、戦後経済成長を享受していたはずの日本が「むしろ貧しくなっている」ことを目の当たりにし、かつてシカゴで取り組んだ数理経済学では表現できない豊かさを探究し、書き上げたのが「自動車の社会的費用」(1974年)でした。「自動車の社会的費用」において、宇沢は交通事故が起こりづらいような都市設計など、自動車の普及によって人々の厚生を保つために追加的に必要となる費用を受益者が広く負担すべきという論を展開しました。

SDGsの17の目標を有機的に繋ぐものこそが現代にも生きる社会的共通資本の概念であり、経済を動かすのは人の心であるというのが宇沢弘文の思想であったとお話いただきました。


② 医療の現状と今後の可能性

占部先生は現在は医師としてもご活躍されていますが、医療機能や病院のあるべき姿や意義について、社会的共通資本の観点からお話しいただきました。

— 医療は社会的共通資本のうち、制度資本に該当し、その本質はサービスではなく、Fidelity(信任)に基づく活動です。なぜなら、人間はみないつか死んでしまう以上、医療はサービスとしてはどこかで破綻してしまうからです。そうではなく、「信任」をベースにし、亡くなるまでの終末期をよりよいものにために力を尽くすという指針を拠り所にして活動しているのです。医療は専門家集団によって、高い倫理観をもって運営されなければなりません。

— 「病院はそこにあるだけでよい」のです。病床数が多いことは必ずしも死亡数の減少を担保してくれませんが、病院は金銭授受の関係の外側で人々のボランティア活動を生み出す場でもあり、いざという時の安心を担保してくれる場でもあり、地域で手薄になっている介護の代替手段を提供してくれ、専門職から非専門職までの雇用の受け皿でもあります。
地域医療の今後の展望に関連して、海外の実践についても紹介をいただきました。
まず、英国で先駆的な取組がある「社会的処方(Social prescribing)」について紹介がありました。社会的処方とは、医師が薬の代わりに、コミュニティなど人の繋がりを処方することで、患者の根本的な孤独感を解消するとともに、健康とウェルビーイングの改善に繋がる解決策を見出す活動のことです。英国では、1880年代頃からコミュニティレベルで実践されていましたが、2006年に政府文書‘Our health, our care, our say’で言及されたことで関心を集めました。日本でも孤独・孤立対策が政策課題として取り上げられる中、2020年及び2021年の経済財政運営と改革の基本方針(「骨太の方針」と通称。)にも記載されるなど、注目を集めています。

— 社会的処方の考え方は、医薬品の処方など個々の医療サービスを点数化し報酬と結びつける現行の診療報酬制度とはあまり合いません。日本社会に徐々に導入していくとすれば、医療行為として導入するのではなく、地域コミュニティにおいて実践の場を広げて医療行為以外によって人々の健康とウェルビーイングを増進し、結果として医療費の削減に繋げて財政負担を緩和していくようなやり方が現実的ではないかと考えられます。
また、オランダ発の「ポジティブヘルス(Positive Health)」の考え方をご紹介いただきました。現在、WHOが示す「健康」の定義は「病気がなく、精神的に満たされている状態」となっていますが、その定義に従えばそもそも両方の条件を満たす健康な人などほとんどいないということになってしまいます。これに対して、「ポジティブヘルス」とは、病気や障害などを抱えていても、「その困難に主体的に立ち向かうことができている」ことを健康である、と捉える考え方です。ポジティブヘルスの定義によれば、どんな状態の人でも健康な状態を目指して希望をもって生きていくことができるでしょう。ポジティブヘルスは心身の状態、心の状態、生きがい、暮らしの質、社会との繋がり、日常機能の6つの項目で構成されています。例えばオランダでは、「くもの巣」と名付けられた6項目のレーダーチャートを日常的にモニタリングし、患者と医者とのコミュニケーションの糸口とすることで、過剰な医療受診が減るといった成果が見られています。

(コロナ禍でみえた日本の医療の問題)

コロナ禍における日本の医療体制の課題についてもお話しいただきました。社会的共通資本としての医療の機能を守り高めていくために、診療報酬制度の転換についてもお考えをお示しいただきました。

— 一部の病院に負担が集中していることや、病院の持つ機動力の低さが課題です。社会的共通資本としての医療を守ろうという責任感がある病院に負担が集中している一方で、医師の収入は、3割の患者の自己負担分を除く残りの7割を国民皆保険制度による保険料等を通じて社会によって支えられている事実に対して責任感が希薄と言わざるを得ない現場も見受けられます。

— 研修医を多く抱える大学病院は、見える範囲で最も機動力を発揮していると思われます。次の感染拡大の波を乗り切るためにはこのような機動力のある機関を使うのが一つのポイントと思われます。

— 今後、社会的共通資本としての医療を守るためには、何人の住民の健康を継続的にサポートしているかということをベースに国が病院をサポートするシステムへの移行が望ましいでしょう。現行の診療報酬制度では、健康増進にコミットできているか否かを問わず、頻繁に診療し処方する方向にインセンティブが働いてしまいます。多くの人に対し、医療が継続的な伴走ができるような形にインセンティブ設計が望ましいと思います。人口密度の低い地方部の事情を考慮する場合には、一つの病院がカバーする面積を考慮して手当を増額するなどの設計も必要になるかもしれません。


③ 官僚機構に期待すること

— 専門家とは、現在の社会の官僚機構的なシステムにおいて高い地位にいる人々ではなく、ローカルな問題やそれを取り巻く状況をよく知っていて当事者意識を持っている人のことを指すと考えています。全ての人々が豊かに暮らすことができる社会を実現するための、社会的共通資本の管理は官僚的な、上から目線のものであってはならないということを、是非とも国家公務員をはじめとした方々に念頭に置いておいていただきたいと思います。

— 市場原理を適切に機能させるためには、市場原理の「外側」から大勢の認識を適切に醸成する訓練が不可欠です。ルールメイキングに関わるような方たちには、枠組みの外に目を向け、既存の枠組みの外側から物事を見ることを通じて、今後の社会のあるべき姿について語る視点を見つけていただきたいです。


④ディスカッション
当日交わされた議論の一部をご紹介します。

Q1. 病院は地域にあるだけで社会的に意義があるというお話に関連して伺います。アメリカなど一部の国では患者が必ずしも自由に医療機関を選択することができませんが、日本ではそうなっていません。医療機関のフリーアクセスについてお考えがあれば伺いたいです。

― 医療機関のフリーアクセスの善し悪しは議論があるところです。個人的には、患者のリテラシーが相当高水準にならない限りは、継続的に患者の症状に寄り添い、相談に乗って判断を蓄積していけるかかりつけ医がいることは非常に重要であると思います。
Q2. 社会的共通資本としての医療を守る医療従事者の態度として、患者が困っている状況において最善を尽くす姿勢が重要だとお話しいただきました。予防医療や、さらにその前段階での介入について、今日の議論の中ではどのように位置づけることができるでしょうか。

― 理想論としては、病気が重くなったらどのような終末期を送ることになっているのかよく知っている医療従事者が、社会的共通資本としての医療の提供という位置づけで予防にも最大限のコミットをするべきだと思います。しかし、医療行為に対しての報酬に相当な重みづけがされている現在の診療報酬制度のもとでは困難だということも認識しています。日本社会においては、コミュニティナースのような主体が予防医療の場を展開しつつ、そこに病院等の医療従事者も参画し、患者を緩やかに予防医療から病院での医療に繋げていくやり方が考えられます。
Q3. コミュニティナースの取組について非常に興味深く伺いました。しかし、中央官庁が地域のコミュニティづくりに介入することは困難であるとも思います。一人の国家公務員としてどのようなことができるでしょうか。

― 宇沢は、コミュニティをつくるためには、まずは地域に住んでもらうことだと語っていました。現状では、中央官庁の国家公務員の地方赴任はその意味で良い取組だと思います。

Q4. 過剰な投薬や検査が一人ひとりの患者の健康への寄り添いという観点から望ましくないことは理解していますし、適正化が必要であることに賛同してくださる方もいらっしゃると思います。しかし、そうであったとしても制度所管省庁の立場から施すサービスの数量を縮減する方針を示した場合には相当の反発があることが予想されます。どのようにしたら対話の端緒をつかむことができるでしょうか。

― 直近の取組では、厚生労働省の地域医療構想がありましたね。まずは、医療者が「病気ではなく病人を診る」ことができるように、よいインセンティブ設計が必要だと思われます。また、地域によっては既に医療ニーズに対する医療人材の不足が問題となってきていますので、対処の一環として医療従事者による医療行為の実施量の適正化を打ち出していくことは可能かもしれません。

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4. おわりに

 今回の勉強会では、昨今注目されている社会的共通資本の考えをベースに、コロナ危機を踏まえた今後の医療のあり方などについて、占部先生からのご講義に加えて、少人数でじっくりと議論をすることができました。予定を延長し2時間弱となりましたが、まだまだ議論は尽きませんでした。PMI Bureaucrat Communityでは、今後も引き続き、学びを深めていく勉強会を開催していきます。ご興味のある方はぜひご参加ください。

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