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陽のあたる道論争で大激怒したのに、ちょっぴり納得してしまっている現在の私をなぜか認めたくないって話【エッセイ】
先日久しぶりに兄貴が帰ってきた。
兄貴は医者で、大学卒業と同時に大阪を離れ、それ以来ずっと向こうで暮らしている。
その長男はうちの次男と同い年で医者。次女も医者で、長女は海外で仕事に就いている。
嫁さんは専業主婦で頭がよく、子供たちを立派に育て上げ、家族仲もすこぶる良く、と、いわゆる絵に描いたような家族だ。
最近、兄の息子は一軒家を建て、子供たちはインターナショナルハイスクールに通い、英語が話せるとのこと。
「きっとあの子たちは、エリートの道やな。なんせラベルが違うし」
と、しょーもないボケを交えて母と話しながら、ふと、父と昔、大論争したことを思い出した。
父は学生の頃、医者になりたかったのだが、貧乏だった為断念したという。
そのせいか、医者などを筆頭にしたエリートといわれる人に対する思い入れが人一倍強かった。
だから、兄貴は自慢の息子であり、その息子(孫)が、現役で国公立大学の医学部に合格した時も、とてもうれしかったようだ。
「子供の一人くらいは、 “ 陽のあたる道 ” に行かさんとあかんなぁ」
その時、父がポツリと言った。
間髪いれず即座に反応したのは、やはり私だ。(笑)
「そら、すんませんな。うちの子は、“ 陽のあたる道 ” じゃなくて! 」
実際、次男は夜にかけての仕事なので、“ お日さまのあたりにくい仕事 ” ではあるが。
父の持論は、子供のうち一人でもいいから、しっかりした経済力を持つ子にしておけば、親として安泰ということらしい。
それはそれで理解できるが、こういう言い方は、へんこの私には、ひっかかりまくりの大嫌いな表現である。
医者や弁護士や一流企業のサラリーマンは、“ 陽のあたる道 ” で、フリーターや水商売は、“ 陽のあたらん道 ” ということか。
どんなことがあろうと生き抜いていける力さえあればいい、と思っている私は、雑草のようにたくましい息子たちを自慢に思っているのに。
暗に、 “ 陽があたらん。。” などと言われとうないわっっ!!と、怒りが沸く。
と同時に、もしかして、実は私自身がココロのどこかで父のように思っているから、こんなちっぽけなことで異常に反応するのか?とも思え、それはそれでまた訳もなく腹が立った。
「兄貴とこは、うちとはラベルが違う(レベルのこと。笑)からな~。ラベルがっ!」
と、吉本風にボケるくらいしか、この複雑な思いは昇華できなかった。
しかし、じゃぁ私はどっちなんだ?弟は?父本人は?母は?
気に障ることがあると、しつこいくらいに相手を攻撃する私は、数日後、今度は母と、“ 陽のあたる道論争 ” をやらかした。
でも、当事者の息子たちがこの話を聞いたら、きっとこう言うだろう。
「そんなもん、どうでもええやん。オレらはどっちでもええわ」
時として親は、大人は、(というより、私は?)それこそちっぽけなことにこだわり、虚勢を張り、自分の考えを守ろうと相手を攻撃し、しなくてもいい無駄なことに時間を費やす。
案外、息子たちのほうが大人だなぁといつも思う。
いや、「案外」 じゃなくて、「やっぱり」だろう。
でも、もし現在、父とその話をしていたら、「それも一理あるなぁ」と、素直に聞いているような気がする。
それはそれで、なんだかくやしい。
“ 陽のあたる道論 ”、みなさんはどう感じただろうか。(しつこい。笑)