忖度(そんたく)と損得
(かわせみ亭コラム#24)
“忖度”という怪しげな言葉がマスコミを賑わわせていたが、この言葉が日常会話で使われることはまずない。一昔前にもこの言葉と同様のニュアンスを持った言葉で、「空気を読む」を略して“KY”という言葉が取り上げられたことはまだ記憶に新しい。
これらの言葉に共通している意味は、相手や周囲の気持ちを推測し、それによって自分の判断や行動を行うと言う点にある。このような思考や行動には表と裏があり、表の面として現れたものは日本人の精神性の麗しい面の発揮となり、逆に裏の面として現れたものは日本人の精神の卑しい面の発揮となる。
表裏の分かれ目は、相手や周囲の気持ちを推測する動機の違いにある。純粋に相手に喜んでもらいたいという動機ならば、それは日本人の麗しい美徳の発揮となり、それは友情・支援・おもてなしなどという形で他人を喜ばせることになる。一方、自分の利益だけや自分の安心安全だけという動機で行われた場合は不純な動機だと追求されても仕方がない。ましてこの不純な動機に基づいた行動が違法ないしは反道徳的なものであったとしたら、その行為に対する罰を免れることは許されない。
明るい忖度は人々の間における信頼関係の元となり、暗い忖度すなわち自分の損得だけにこだわる行動は信頼関係を壊し、人の道を外れ、自他を共に不幸に陥れるものだと思った方がいい。
そうは言っても、忖度のどこが悪いのかとか、空気を読んで何が悪いのかとか平然と言い放つような人間が恥も外聞もなく大手を振って闊歩しているのが昨今の世間の風潮であり、いつまで賢者は黙して語らず、を続けるつもりなのだろうか。