蜂の社会と旧日本社会の共通性

(かわせみ亭コラム#21)
 蜂の社会と人間社会にはおもしろい共通性を見つけることができる。 蜂は複数の個体で集団を形成しており、コローニーと呼ばれる独立した巣を持っている。人間社会で例えれば、複数の人間が集まって、一つの村落共同体を形成しているようなものである。
 また、蜂はその集団内で、それぞれ異なった役割を持っている。一匹の女王蜂および少数の雄蜂は、子孫を残す役割を担い、多数の働き蜂は蜜を集め、外敵から巣を守っている。女王蜂は、この集団を人間的な意味で統率君臨しているわけではないようであるが、いずれにしてもこの集団における命の継承の中心的存在として重要な位置を占めていることには間違いない。 人間の共同体は、それほど単純ではないが、やはりその共同体の構成は、その役割の重要な順にそれぞれの役割分担が決まっており、共同体の頭ないしは中心には頭目やリーダーが存在している。

 また外敵との戦いにおいては、働き蜂は巣を守るために、数匹や数百匹の犠牲を出しても戦うことをやめない。例えば、ミツバチはその天敵であるスズメバチが巣を襲った場合には、多数の犠牲が出るにもかかわらず、それを大勢のミツバチが取り囲み蜂球(ほうきゅう)とよばれる塊をつくり集団の体熱で敵を熱殺してしまうことはよく知られている。
 蜂の集団にとっては、個体の命よりも、自分たちの村落共同体である巣を、すなわち女王蜂、幼虫、たまごを守ることを本能的に優先しているのである。このことは昔の日本人における、共同体集団の存続を第一優先とし、己を空しくし、共同体の鉄の行動規範に従い、全身全霊を尽すこと、場合によっては自分の命をも犠牲にするという行動に共通点を感じる。
 これらの自己犠牲的な行為は、本心・本能で自発的に行われる場合は感動を呼び、強制的に行わされる場合は地獄を呼ぶ。

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