会話 (21)
12月1日に父方の祖母が天に召された。
大正10年生まれである。
1921年生まれ。つまり満100歳であった。
先日、コロナが少し落ち着いた事もあり面会可能になったので父親と一緒に広島まで祖母に会いに行き約2年ぶりに顔を見ることができた。
その2週間後危篤状態となり、そして更に3週間後亡くなった。
なんとも不思議なものである。
皆んなが会いに行くのを待っていたと言わんばかりの展開に誰もが驚いた。
広島生まれ。生涯を広島の地で過ごした祖母である。
葬儀に向かう新幹線の中でそもそも大正10年という教科書でしか見たことない、その辺りの時代に何が起きたのか少し調べてみた。
大正10年
原敬首相東京駅にて刺殺
メートル法が採用
高橋是清内閣発足
大正12年
関東大震災
昭和3年
張作霖爆殺事件
やはり教科書でしか見たことない事件や出来事で埋め尽くされている。
思えば祖母は95歳までは痴呆はあったが食べるものも食べ、よく笑いすごく元気であった。
しかし体調不良や徘徊の症状が始まったのを機に老人ホームに入居。
それを機にまるで別人のように衰えていった。
誤解が生じないように先に書くが
これは誰が悪いわけでもないのである。
叔父、叔母は本当に片時も離れず95まで祖母に寄り添っていたし、施設に入ってからも施設のスタッフさん達も祖母に本当によくしてくれた。
その中で95才を機に猛スピードで衰えていった祖母。
私が考えるに「会話量」の変化に伴う衰えである。
祖母が祖母自身の家にいた時は
絶えず叔母が話しかけていた。
やはりそれが圧倒的に減少したのである。
それは当然のことである。
施設の方々はたくさんの老人のお世話をしなければならないので入居者1人1人に対して膨大な時間は割けない。
つまり、1人で過ごす時間が増えるのである。
孤独死。なんて言葉が昨今話題になっているが、その孤独は原因は根本的な話し相手がいない。ことに尽きるのではないかと。
私は以前も少し書いたが趣味で中国語を勉強している。
中国語の先生からすると、日本人の1番信じられない事は「1人でごはんを食べる事」らしい。
皆んなで会話をするから意味がある。と。
中国語の先生の意見は一例として
確かに祖母の衰弱の仕方をみると
「会話」と言うものの大切さに改めて気がつく。
感情や会話の相手がほぼスマホの中の何かになりつつある現代。
家庭でも職場でもどこでも生身の人間との会話がきっと五感を刺激するのだろう。
私自信一人暮らしで、気がつくとスーパーのレジの店員さんとの一言二言の会話で1日が終わる日が多々ある。
これは危険な兆候だ。
私自信、割と冬に弱い人間でもあり尚更危険である、、、
とりあえず、誰かと会話をしなければ、、、
広島に向かい葬儀を終えて、仕事の為先に1人で帰京する新幹線の車内でぼんやりと感じた。
大正、昭和、平成、令和
4時代、都合100年生きた祖母は、やはり人間として生きていく上で1番の活力を教えてくれたのである。