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アーマーゾーン (130)

「引っ越し引っ越し引っ越し、さっさと引っ越し、しばくぞ」

これはかの有名な奈良騒音事件の通称”騒音おばさん”のセリフである。当時テレビや雑誌などは皆この騒音おばさんの虜であった。不思議な女性として面白く放送され、お笑い芸人(おそらく落語家も)がバラエティ番組で嬉々として真似していたものだった。隣人トラブルの事件であり騒音おばさんはどちらかというと加害者で悪役側であったが、後々詳しく調べてみると、騒音おばさんの方が被害者だった可能性もあるらしい。事実としては騒音おばさんには難病を抱えたご家族がいたそうだ。真実は全くわからないが、真に恐ろしいのはテレビである。一人の一般人をおもちゃに変えてしまったのだ。かくいう筆者も「引っ越し引っ越し引っ越し〜♫」とリズムカルに口ずさんだことは何度もある。皆さまもそうではないだろうか。これは反省すべき点であるが、同時に仕方ないのだと思う。言い訳のようで情けないが、テレビが一般人をおもちゃにしたのが原因なのだ。そして与えられたおもちゃをそのまま視聴者は楽しんだだけなのだ。

昔のテレビ、それこそ筆者が生まれる前は、プロしか出ていなかったそうだ。クレイジーキャッツや柳家金語楼、美空ひばりや三橋美智也などがそうである。それがもっと身近なものになり赤ちゃんや動物などが出てきた。次に欽ちゃんが絶妙に素人をいじり出し、ドキュメント的なものの面白さに気付いた。力をつけたテレビは超能力や霊感、アマゾンの奥地に住む謎の生物などを特集し、現実と虚構の間を放送することで視聴者を喜ばせた。虚構を信じさせることが出来るもしくは虚構を信じる人がいると理解したテレビはもうそこからやりたい放題だったのではないだろうか。昔のテレビは楽しかったと皆が口するのも仕方ない、やりたい放題なのだから。

現在はテレビにそこまでの力はない。それが証拠に”アマゾン奥地に謎の生物がいる”と放送したところで、誰も信じる人はいないだろう。ではインターネットはどうか。同じく大多数の人は”アマゾン奥地に謎の生物がいる”とは信じないはずだ。だが結果は全く同じではない。テレビは一方通行しかないが、ネットには双方向性がある。少数だとしても”アマゾン奥地に謎の生物がいる”と信じたい人達がいれば、そこに”アマゾン奥地に謎の生物がいる”コミュニティが出来上がる。学生時代クラスに一人は変わった人(完全に主観だが)が必ずいたものだ。かくいう筆者もそう思われていたかもしれない。クラスに一人いれば学年に3人いる。学年に3人いれば学校に10人くらいはいる。学校に10人いれば市や町に100人はいる。規模を広げれば1000人、1万人と10万人と増えていく。クラスに一人の変わり者が一人ではなくなるのだ。ましてSNSなどになると”アマゾン奥地に謎の生物がいる”と信じる人達のみをフォローすることで、”アマゾン奥地に謎の生物がいる”を証明する謎の情報しか目に入らなくなる。結果、”アマゾン奥地に謎の生物がいる”世界が自分の真実となり、果ては何故周りの人達は”アマゾン奥地に謎の生物がいると信じないのだろうか、こんなに情報があるのに”となる。世界がどんどん狭くなっているのに、環境によって狭いことに気がつかなくなってしまうのだ。

もしかしたら”アマゾン奥地に謎の生物がいる”かもしれない。大事なのは例え”アマゾン奥地に謎の生物がいる”と信じないとしても、”アマゾン奥地に謎の生物がいる”可能性もあるかもしれないと考えてみることだと思う。SNS、インターネットの怖さは情報の確実性ではなく、自らの世界を狭める可能性があることだ。いやいや俺は、私は、おいどんは大丈夫でごわすと思う西郷どんもいるかもしれない。念の為そういう人が実は一番危ないと訴えておく。何故なら信じたいことを信じられる情報ほど気持ち良いものはないからだ。占いがわかりやすい例である。あなたは几帳面でおっちょこちょいでシャイでにぎりっ屁が好きな人ですと言われた場合、おいどんはにぎりっ屁が好きでごわすなぁと、己の信じたい部分だけを信じたくなるものだ。好きな情報は麻薬のように気持ちが良いものなのだ。麻薬やったことないけど。

ここまで語ってみたが実際問題立ち止まって知りたくない情報を精査したところで、何の快感も得られないのが事実である。おそらくそんなことしたところで何ら楽しくないだろう。しかしかつてテレビに”アマゾン奥地に謎の生物がいる”と嘘を信じさせられたのに、またインターネットで”アマゾン奥地に謎の生物がいる”と騙されるのは何だか気持ちが悪い。毎日を彩るのは好きな情報だけで構わない。だが第二第三の騒音おばさんを生み出すのだけしてはいけない。楽しんでも良いが、苦しめてはいけない。間違いはあるかもしれないが、なんとか気をつけていきたい。
因みに、筆者は最近引っ越しをした。
「引っ越し引っ越し引っ越し、さっさと引っ越し〜♫」


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±3落語会事務局
この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com