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眠いと段々と目が開かなくなるという当たり前のこと 今日の日記 2022/07/24

デイリーアウトラインをスマホで作る


お風呂で作る今日のアウトラインはもしかするとフリックで打つより、音声入力の方が自分にとって合ってるのかもしれない。

なぜならたくさん文章打ちたいと思う気持ちと、フリックでたくさん文字を打ちたくないと言う気持ちが共存しているからである。

頭の中にあることを適当に話していても、文章になるので、ついたくさん喋ってしまうが、ここではたくさん喋って、頭の中を整理することで、本当に必要なアウトラインを完成させることが目的である。

なので、ここでよくわからないことを言ったところで、別に何も問題もない。これらは全てメモの中に入るのだから、別に文章量を気にする必要もなければ、多少の誤字脱字が連れていても問題がない。
誤字脱字を気にすることで文章の修正をしたくなるんだけど、そういうことを考えなくてもいいのが音声入力である。逆説的に言えば音声入力では多少の誤字脱字が発生するので、そういったものに使うと言う目的を避けておけばいい。

文章の出力を分けることで、より効果的に自分のやりたいことを考えることができるのではないだろうか。

気がする、だろうか、など表現。自分の中で確証がないと曖昧な言葉になる。自分の経験から仮定を確証に近いものにしておきたい。

ガチガチにすると離れられなくなる

でも、はなれたいときもある。そこをどのようにするか。外との断絶
白紙から始めるのは、本当の白から始めたいから。
これができるのは本当の意味で紙のノート。紙は物理的に白紙にできる。ノートを変えることができる。それをデジタルで、基今の自分の環境で再現するとなるとどうしたらいいか。きっと、アプリやサービスを白紙から始めることだろうな。

それか、マークダウンエディタで直接打ち込んでみてもいいのか。Logseqで、ジャーナルを作った後は、別のアプリで操作をする。そうすれば、白紙で進める感覚が持てるのか?

もしくは、Dynalistで、新規ノートを作成し、ある程度のところでエクスポートする。そもそも、白紙になりたくなる感情というのは、最初の一歩だけだ。この一歩が踏み出せれば 、その先はそこまで苦痛ではないのだ。この感覚、理解しているけど、なかなか難しい問題。人間というものの認知が関係しているんだろうな。

ガチガチに固められた仕組みは、そこに依存をする。それがなくなると、困る。これは、なんとも悩ましい問題だ。依存してしまうのは、よくない感覚はある。だけど、その仕組みを使うことで自分の能力の向上が望めるのならば、それを使わないという選択肢は少ないのでは。ガチガチに固められた時、なんとなく恐怖というか面倒ごとに巻き込まれる感覚はある。その一歩を踏み出したら、1歩だけじゃ済まないというか。多分、5分やったらやめていいというライフハックが最近効きにくいのと同じ感覚だ。

5分でやめない自分に気づいているから自分を騙せていない。というか自分を騙すという感覚が、不健全。考え方を改めた方がいい。5分で本当にやめていいのだ。5分でやめないという選択をしているのは、自分自身だ。その感覚を持つべき。自分の選択が、社会性とかべき・ねばみたいなものにもろに影響を受けている。

そもそも、このキーワードを思いついた時、何を根拠にそのように思ったのだ?思い出せない。そういうこともあるから、メモはある程度の情報が必要なのだ。このメモをとる方法について考えておいた方がいい。

意味のわかるメモをとる


前提としてメモは使い捨ての付箋に書くようなものを想定している。ここから必要な箇所に移動させるのが基本だ。なので、永久に残すものではなく、それぞれ必要な場所へ必要な情報を残すためのきっかけづくりだ。

もう一つ、人間は忘れる生き物であり、 未来の自分は赤の他人と同義だ。だから、後でこれくらいは思い出せるだろうという慢心は捨てるべき。
そうすると、必要なのはなんだろうか。

ここでいうメモには2種類ある。タスクのような何かを実行するためのメモ。もう一つは、唐突に生まれたアイデアのような何か。前者は、5W2Hを意識したかき方をすればいい。仕事なのであればなおさらだ。後者が問題だ。思いついたキーワードは、そのまま書く。ここまでは別にいい。なぜそれを思い付いたかを記録しておかないと、前後関係が行方不明となる。

しかし、思いついた経緯を書こうとすると、まだ曖昧なものを忘れる恐れもある。そう考えると、タイムスタンプは優秀だ。これがあることで、自分の前後の行動は遡れる可能性がグッと上がる。あとは、自分の中にある感情や思いを言語化することだ。ここでは時間の勝負だ。頭の中に浮かんだ瞬間から、鮮度は落ちていく。その鮮度を少しでも保つためにメモに残す。この時箇条書きがいいのはいうまでもない。こういった思いつきを、どのように捉えるかだ。


そして、このような思いつきは往々にして、メモを取れる環境ではない状況に思い浮かぶ。だから私は、スマホでもiPadでも速やかにメモを取れる用にしている。それでも細かな部分は抜け落ちていく。これが現実なのだからそれを受け止めればいいのかな。そうしよう。

夕飯を先に考える


夕飯は、タスクだ。このタスクは、ちょっとまとまった文章を書くのに似ている。誰かのお祝いであれば、本を書くことのように準ずる大きな準備が必要である。その時は目的が明確だから、割と方向性が定まりやすい。その結果、タスクが重くなるのも含めて似ている。

夕飯が軽いタスクなのだとしたら、まずは先に計画を立てる必要がある。夕

飯の計画は以下のようになる。

  • 夜ご飯として腹持ちのいいもの

  • 炭水化物はできれば避けたい

  • 末っ子が自分で食べてくれるようなメニューが望ましい

  • 調理工程は多すぎない方がいい

  • 以前やったことのあるものをアレンジして使いたい

こう考えると、夕飯を作るのには、結構条件がある。そして、この状況は自分自身ではなく、他人に委ねられている。だから、これは先に決めて仕舞えばいい。先に決めるための基準が何なら、作る。それが、システム化。
これが面倒なのは、食べる時間が・作る時間が差し迫っているのに、決まっていないことで焦るという気持ちが判断を鈍らせ、面倒臭いという感情が顔を出す。

だから、先に献立を決める。この献立の「先に」の塩梅が重要だ。昨日食べようと思ったものを食べるかどうかは、わからない。なんなら事前に作ったものは食べない可能性すらある。料理のクオリティにもよるが、選択をすることで自分が食べたいものを決めている感覚になるのだろう。

オーダー表は、自分の行動の選択肢だが、食べたことあるものリストもオーダー表に当たる。

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