縦書き良いね 今日の日記 2022/08/09
疲れた時は自分と向き合う
手書きも考慮する。自分にとって最適な方法を考える。向き合うまでのハードル。誰にも邪魔をされない時間の確保。職員が帰っていないとこの時間は無理。だったらいつ行うのか。やはり朝の時間か。
朝のお風呂の中と思っていたが、どうだろうか。キーボードを変えてみたら、いいかも知れない。やってみよう。自分にとって最適な環境を整える。朝風呂の時間でしか確保できないと理解したら、少しは自分の感覚が違うかも。あとは、1日の流れを作るということが、少しハードル高いのかも知れない。だったら、違う内容を考える、吐き出すくらいのほうがいいかも知れない。それこそ、タイマーかけて時間短く打ち込むとか。やってみてもいいかも知れないね。
ドラえもん 映画公開
息子が初めて映画館で見たもの。今度一緒に見れるといいかも知れない。
本人にとってどんな体験なのかな。気になるね。
縦書きプレビューの不具合
何かが起きている。なんだろう。うまく言えないけど、困ったもんだな。文章を打って消えてしまうのは結構気持ち的につらいものがあるわけですが。それならこの書き方を使う意味というものも無くなるんだ。それは困る。縦書きは全然違う印象を感じさせるため、自分の中で結構重要になりそう。
多分、これは、自分側の問題な気がする。アプリ再起動したらできた。一応、コピーをしてから縦書きモードを終わるようにしましょうか。
自由にできる不自由さ
自由にできる不自由さとは、何でもできるから、その分、こだわりたくなる不自由さがある。反面、ソフトウェアというのに、なにも変えられないのは、全然ソフトではないようにも感じる。
不自由というとあまりいい印象はない。些か暴論ではないかという気持ちにもなる。しかし、こだわりを持ってしまうことで、自由が足枷になるのは本末転倒であり、それは不自由以外の何者でもない。本当の自由は、自由ではないのだ。手法が自由であっても、自分の心は自由ではない。自分自身の今までの経験に縛られている。それが不自由さを生んでいる。
だったら、その不自由さを受け入れればいい。自分の思い通りにならないことも理解し、受け入れ、それでも争うのはいいのだろう。なぜなら、そうやっていく中で、できないことに目を向け、自分の足りなさを補うことこそが人間なのだろう。
なぜなら私たちは不完全な存在だ。そんな不完全な存在が作り上げたものを完全と呼ぶには、傲慢だ。
自由にできることが不自由ならば、それを受け入れるだけでなく、ちょうどいい自分の自由を探せばいい。それは不自由と自由の間にあり、自分にとって大事なものだろう。それを見つけることを、楽しみながら生きていく。その行動こそ自由だ。
縦書きで行うフリーライティング
無駄に堅苦しい言葉を使いたくなる。なんならカタカナを避けて、ひらがなにしたほうが雰囲気出るんじゃないかって思う。そう考えると、明朝とかフォント変えたら面白いかも知れない。ということで変えてみた。
フォントの色味も変えて、万年筆でどんどん書き連ねていくイメージ。こうしてみると、文章を書くときに認知というのは、とても重要で、見た目が変わると出てくる文章も変わってくる。縦書きにし、ここまで固くしたらそれはそれで違った文章が出てくる気がする。まあそれはそれでいいよね。これiPhoneでもやってみたい。ということでやってみましょうか。
iPhoneで、フリック入力で縦というのもなかなか乙なもの。これは、新しい体験だな。キーボードでやるのではなくて、この形でやってみてもいいかもしれない。フリック入力という形でフリーライティング。これが、いい。
もっと手軽に。
新しい体験が、脳を刺激する。縦書きも横書きやはり違うものは違う。それを良い形でうけとめていこう。
他人という異質は自分の存在を肯定する
人と話すということは、なんなのか。自分という存在を認識すること。自分しかいなかったら自分と周りの境界を感じることができない。自分にとって異質な存在があるから、自分が際立つ。自分が理解できない存在を、異質と認めていい。なぜなら育ちも経験も違う。だから価値観も学びも見ているものも、好きなものも嫌いなものも違う。それを異質と感じたとして、なにがいけないのか。自分の価値観と違うから、自分の存在が認められる。他人と同じであったら自分である必要がどこにあるのかわからなくなる。自分が主人公なのは自分の物語の中だけ。それでいい。自分は自分なのだから。
キーボードに過剰な期待を込めない
フリック入力でも十分入力できる。ではなぜ、それをキーボードに期待するのか。それは、自分がたくさん打ちたいことがあると思い込んでいるから。そうではなく自分の中にあるものを少しずつ出すと考えるべきなのだ。そうすることで、もろもろのハードルを下げることができる。そうすることで、見えるものがある。正確には出し続けることで見えるものがある。だから、出し続ける必要がある。そのために必要なのは自分にとってハードルを下げることである。それでいいのだ。