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インストールと努力の成果、そしてそれを掠め取ろうとされるのはどちらにせよ嫌だ。
私が考えるインストールは、重点的に学び、一定以上の知識を得る状態を指していた。
プログラムのように、決まったカリキュラムを一気に流し込むというよりは、気になる情報を一気に流し込んで脳内で処理をする。
新しく興味を持ったものなんかは、こうやって、知識を得て、必要なものを集めて、ある程度形にする。
その形にするのは、脳内で行なったり、箇条書きで書いて、一つずつはバラバラで合ったりと。
ただ、インストールの本質としては、一つずつのプログラムをパッケーングして、雨リックひとつで使える状態にする電子機器特有の言葉だとすると、自分が考えていたものは違う気がする。
練習の成果というのは、特訓などの訓練をしてた力。反復練習であったり、振り返り改善をしたりした結果である。
それに対して、ちょっとのコツで簡単にできるようになるもの。裏技とかコツとか、タイムパフォーマンスを求められているこの時代に、なんとなくありそうなもの。
これをインストールというのかもしれない。
努力をせずに得たものの価値、これがインストールとなると、そこに価値はあるのかと疑問を持ってしまう。
持たざるものが、何かを得たときに、それを大事に持つ。
物に溢れた時代において、この価値観は大事。
それに対して、努力せずに得たものは悪なのか?
そこまで悪いものとは思わない。
その人の目的に沿って、本当に大事なものに時間と労力をかけるために、他のものはほどほど済ますというのは、悪いことではない。
ただし、それを主目的とするのは違うと思う。
また、誰かの努力を、対価なしで得ようとするのも違う。
絵を描く、アクセサリーを作る、知識を教示する。
その行為自体は簡単でも、背景にあるものはその人の時間とお金と労力を割いて得たもの。
だから、そこの価値は周りではなく本人が決めること。
練習の成果であれ、インストールであれ、その価値は、その人が決めればいい。
そしてその人が決めた価値を、周りの人がどう感じるかも、それぞれが自由だ。
それを発言したり相手に武家たりすることは不自由だけど。
で、重点的に学び、一定以上の状態へとなることをなんというのだろうか。
適切な呼び名が欲しい。
呼称があると、認識しやすいから。
重点学習
直感的にわかるのはこれだが、なんとなく自分の言葉と感じない。
なんだろうね。
[[2023-10-23]]