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2023年6月 私が思うタスク管理

はじめに

タスクとは、自分が行う行動である。タスク管理において必要なのは、タスクをどの順番で行うかや、タスクを自分で実行せず誰かにお願いする、もしくは、いっそ実行しないなどのするかしないかを、どのように進めていくかを管理することが主流となっている。

その方法として、GTDがシステムとしてはとても優秀だ。しかし、システムとしてはという枕詞をつけるということは、それ以外の場面で優秀ではないと私が感じていると言っているようなものでもある。
その通りだ。
私にとって、GTDは参考にするべきものであり、経典や宗教の絶対神のような存在ではない。

ほかには、バレットジャーナルという方法も取り入れている。
バレットジャーナルは、タスクとそれ以外も、箇条書きにして、簡単にまとめることで、自身の脳や思考にかかる負担を軽減するという手法である。

これも、ライダー・キャロル氏が実行している形通りではない。
なんならだいぶ変えている。



そこに入るのが、コモンプレイスノートブックである。
なんでもノートに書いた内容をシールや記号で分類してみやすい形に保管する方法である。ここではバレットジャーナルと違い、箇条書きという制限がない。その結果、まとまっていなくても良い。

ここまで紹介すると、タスクの実行の話をしているのに、さまざまな手法がここであがってしまっている。
つまりは複雑だ。

ここに課題と肝が存在している。

人間は単純で複雑

そもそも人間は、システムではない。だから、複雑である。
この複雑さが思いもよらない発想をうみ、さまざまなことへの挑戦や実現へと寄与しているのは間違い無いだろう。しかし、この複雑さのせいで、次に起こすべき行動がわからなくなってしまうのも事実だ。
だから、タスク管理という自身の行動管理が提唱された。

これらの共通点は、「自分の脳内で完結しない」ということ。

そうすることで、自分の脳内には、今向き合いたいことへとリソースを割くというのが ベースにある。
もちろん、脳内で全て問題なくできる人はそれでいいのだろう。
ただ、私含めて世の中のほとんどの人間が凡人であり、その凡人が、現代という情報氾濫社会で生き抜くためには、身ひとつでは無理があるというものだ。

だから、私は記録をとる。

なんだか、ノートをとらない、メモを取らないということを、話す人たちは、悩んでいる風に話しながらも、それを実行しようとする気配を感じられない。
その方法を取ればいいのに、と思うのだが、それができない。

これは、新人はメモを取るという風習から、ベテランは頭の中でやった方が早いという思い込みや勘違いが価値観として刷り込まれているからだろう。

もちろん全てを記録してから実行に移すのは難しい。
しかし、それをしないことで失敗をするのであれば、記録を撮ればいい。
そのバランスというのは、自分自身が決めればいいと思う。

フォーマットは挫折者を生む

さて、脱線した。ここらで話を戻そう。
記録を取ることは大事というのは、わかった上で、複雑なシステムだとうまくいかないことが多い。もっというと決められた形では、続かないという人が多いのではないだろうか。

1番わかりやすいのは、スケジュール帳である。
スケジュール帳は、大きく分けて4種類ある。
月間、週間、1日、フリー。この4種類が、複数組み合わさって、1冊の手帳となっていることが一般的である。

ここで難しいのは、それらのバランスである。

アナログの手帳を例に挙げてみよう。
これは実際に自分で悩んだこともある事例だ。

  • マンスリーは、1日単位が大きいほうがいい

  • 行が分かれている方が見やすい

  • 月曜日始まりがいい

  • 余白はある程度存在してほしい

  • タスクページはほしいマンスリーとウィークリーの情報が重複するため転記が大変

  • 上記を理由にウィークリーは空白が多い

  • デイリーは日曜日は書かないことがあり勿体無い

  • 逆に平日は1ページでは足りないこともある

  • フリーページのエリアが1年間にしては足りない

このような項目が過去に私は感じたものの一部である

そして、使ってみないとわからない。
1年というのは、過ぎて仕舞えばあっという間だが、過ごしている時は、案外長い。
そして、その長い間、今の手帳に満足しながら使い切る人は少ない。

なぜなら、始まる前から自分のスタイルがわかっているというのは珍しく、また、そのスタイルが合っていると思っていても1年の間に自分自身が変化し、求めている手帳のバランスが変わるからである。

これは、既存の手帳がよくないという話ではない。
既存の形に自分を合わせることができない人が一定数いるという話だ。

これと同じように、世の中にはタスク管理アプリやサービスがある。
それぞれをその通りに実行すると、それなりの成果が出る。

それは、その人にとって、はまればとても良いことだ。
しかし、これも難しい。
なぜなら自分で作ったわけではないので、カスタマイズがあまりできず、痒いところに手が届かない。その結果、隙間を人間がうまく運用することで、課題を解決する。

永続的なシステムの運用は夢幻

ここで言いたいのは、タスク管理システム(スケジュール管理含む)は、その人専用の形にするのは難しいということだ。
とくにデジタルで実施する場合、自身で0から設計が必要となる。

そして、その設計が仮に完璧で合ったとしても、それはうまく続くとは限らない。ましてや永続的であることは皆無だ。

それはなぜか。

自分自身が変化をするからだ。
自身の生活スタイル、家族構成、価値観。年齢を重ねればかわる。

そして、自身の成長。
このようなことに前向きに取り組む人は、ペースは異なれど、成長という変化をしている。だから、自分がずっと同じではいられないのだ。

ではどうしたらいいのか?

私なりの答えは、2つである。

カスタマイズという可能性を広げる行為

1つは、自分で作る。

デジタルでもアナログでもいい。0から設計をする。
そして、この設計は、自分で行わなければあまり意味がない。
それは、自分が変化した時に、変化した自分に設計図を見直せないからである。

裏を返せば、変化を前提とした設計であれば、広い意味での継続はたやすくなる。

余談だが、[[in my roomというYouTubeチャンネル]]がある。
この中で、邪道で自由なバレットジャーナルというシリーズがあるのだが、私はこれが好きだ。
なぜなら、バレットジャーナルというものを、本人なりに咀嚼し、たくさん考えて、作り上げ、そしてよく変わるからである。もちろん、動画のネタのためである部分がないとは思わない。しかし、ノートのことを考えれば考えるほど、本質はなんだろうかと考え、それ以外の知識と組み合わせながら、今の自分に良いものを作ろうとすると必然的に、変わる。

これは、書くということを継続するための変化であるとも言える。
変化に対応することが、継続のコツなのだろう。

余白という価値観

もう1つ、変化に対応する方法がある。
タスク管理と自分自身の間に余白を作ることだ。

そもそもタスク管理は、別の人が考えたものをベースにしている。1つ目の話をそのまま実行した場合、自分自身にとって最適なシステムが出来上がるだろう。

しかし、絶対うまく行かないタイミングが生まれる。
それは、タスクやノート、仕組みのことだけを考えればいいのではない私たちの感情や体調、つまり生きる上でのイレギュラーによってだ。それは、目に見える劇的な変化かもしれないし、いつのまにか変化をし、それに気づいていなかったが、気づいた時にはかなり変化をしていた時など、いろいろある。

つまり、どんなに自分に合わせて作っても、それを作った自分と、それを将来実行する自分は別人だということである。
言葉にすると当たり前なのだが、案外それに気づいていない人も多い。

私もその1人だ。

よくあるのは、明日の予定をしっかりと決める。明日は5つのことを実行しようとする。今日も5つできたらから大丈夫。内容も、起きうるイレギュラーも想定した。

しかし、朝起きてみるとやる気がしないことがある。
昨日の「自分」が決めたのに今日の「自分」はやりたくないと思っている。
なにも、5つの内容は仕事とは限らない。本当にやりたかったことのはずなのに、やるきがなくなることもある。
それは、なぜか。

昨日の「自分」と今日の「自分」は、別人だからである。別人格だ。

これは、多重人格であるとかそういう話ではない。科学的には1人で合っても、そこにいるのは別人である。そう認識したら話は早い。

別人に言われたことを100%飲み込んで実行するというのは、(人によるが)容易いことではない。ましてや、今はしたくないと思っていることを命令されたら、意固地にだってなることもある。

タスク管理システムは、常に更新される今の「自分」へと命令をする存在となりやすいのだ。そして、それを従うべきと考える人もまた多い。

日本の縦割り社会における上司の命令は、基本的に従うことが望ましい。しかし、その命令を聞きたくない時もある。それを無理やり感情に蓋をして継続した場合、どうなるか。

精神的負荷がかかり、何かしらの異常をきたす。

タスク管理でも同じことが起きる可能性がある。
そして、それを察知する私たちは、ある共通した行動を起こす。

システムを手放すのだ。
距離を置き、自然とフェードアウトに持ち込もうとする。
アプリであれば起動しない。
ノートであれば開かない。

だから、根幹である自分自身と、タスク管理システムには余白を持つ必要がある。
そして、そこから出される命令のようなものは、参照する情報の1つとして捉え、最終的には自分自身が実行をするかしないかを決めればいい。

で、いまどうしているのか?

これらが現段階におけるタスク管理にまつわる状況と価値観である。
以上を踏まえて、私は、現在デジタルとアナログの2つの方面で記録を残している。

デイリーノートをアナログでとる
明日以降の未来は、デジタルで記録をする
過去のノートは、写真に撮りデジタルノートへ移管する

デイリーノートをアナログでとる

デイリーノートとは、1日を記録するノートである。
アナログでとると言いながら、アナログ一本ではない。

まず、現在使用しているアナログノートは、以下の3点である。

  • トラベラーズノートレギューラーサイズ


  • 自作システム手帳(M5サイズ)


  • A5スリムルーズリーフ

また、アナログでは主に2つ。
Obsidianとtextwellである。

基本運用はシンプルだ。
トラベラーズノートに記録をし、翌日には写真を撮り、それをobsidianに入れる。

ただし、それ以外のノートをどのように使用しているかが重要となる。
アナログノートは、自由帳である。常に記録を取れる形とし、トラベラーズノートに転記するための材料となる。

デジタルも同じだ。
アナログで記録を取れない際に、記録を取るための手段である。

ObsidianではObsidian memosというプラグインが最近お気に入りである。
Twitterのタイムラインを見ているかのように記録をし、眺めることができるからだ。

これらを見返しながら、1日の終わりまでにトラベラーズノートを埋めていく。
明日への申し送りは、付箋に書いて、翌日のページに貼る。

ここでも、前日の自分が翌日の自分の行動を決めないというのを大事にしている。あくまで申し送りであり、明日の自分がどう処理するかは明日の自分に委ねるのだ。

明日以降の未来は、デジタルで記録をする

未来は不確定である。だからこそ、デジタルで管理をする。
アナログノートを3冊も使用しているが、そのどれもマンスリーやウィークリーは使用していない。
それはなぜか?

どうせ変化するからである。
扱う情報も多く、必要な情報が見えにくくなる。

それ以外の未来に向けて複数日かかるタスクもここで管理している

過去のノートは、写真に撮りデジタルノートへ移管する

アナログの弱みには、書き換えが容易ではないことと、過去のものを所持するとなると、限界が存在するということがあげられる。
それをデジタルで管理すれば、デメリットはなくなる。
また過去の書き換えをする機会は少ないため、これもクリアだ。

さいごに

こうやってまとめておくことで自分自身の状態の記録となる。
これは、数ヶ月数年で変化をする自分の記録にもなるし、いつか今の自分と同じ似た状況になった時の事例として、ささやかながら力添えできることを期待して。


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