ポンコツでもいいじゃない。 今日の日記 2022/08/24
Nreal iOS向けアダプターも公式で出るみたい。
いよいよ気になる。
ポンコツなわたしで、生きていく。 〜ゆるふわ思考で、ほどよく働きほどよく暮らす〜
大体のことは、睡眠気圧疲労のせい、と思うと気持ちが楽になる
自分の中に原因を探し続けると、疲れてしまう。それをしすぎる人は、そうしないほうがいい。そういう時は何かに押し付けて仕舞えばいい。
ただ、誰かに押し付けるのは良くない。ということで、睡眠が足りてないとか、気圧が低いとか、疲労が溜まっているとなれば、諦めがつく。
そうした先に何をするか決めればいい。ウジウジ悩み続けるよりはよほど生産的な考え方である。
夢はでっかく、目標はそこそこ達成できるもので
夢を大きく持つことはいいことだけど、いつまでも手の届かない夢を持ち続けるのは辛くなってしまう。それよりも、目の前の目標が少しだけ低くもつ。正しくは、自分が少し頑張ったら届きそうなくらいに設定をする。そうすることで、目標達成を続けられる。その結果、次へのモチベーションが得られるのだ。
大きな目標より、達成できる目標を目指す。
人生に勝ち負けがあるとしたら、笑って死ぬことができたら勝ちではないか
人生は勝負事ではない。だから、何が正しいかなんてわからないし、誰かと比較して良し悪しを決める物でもない。しかし、それでも人生に評価をつけるとしたら、死ぬ時に笑っていられるかどうかだろう。
なぜなら、人は必ず死ぬ。その必ず通る道、しかも最後が笑えるというのは、その終わりの瞬間を笑える感情がそこにはあるからだ。幸せだったと言えるのだろう。何かしらの遺恨はあるかもしれない。残された周りは悲しいだろう。それでも、本人が笑って逝けるのであれば、それはもう勝ちでいいと私は思う。
勝ちの価値がどれほどかわからないけど、私は笑って死にたい。
完璧主義は一度崩れると戻りにくい
崩れてもいいと最初から理解をしておくことが大切である
ポンコツに他するギャップは意外とできるという状態
努力しても、できないことができるようになる可能性は低い。
スタートラインに立つことで自己肯定感を下げないようにする。
知らないことは選べないということ
知ることは、自分に選択を増やすこと
なんとなくではなく、解像度を上げることも知ることのひとつである
選択肢を知らなければ、受け入れるしかない
自分の得意なことと他人の得意なことは違う
自分がやりやすいことが、他の人もそうとは限らない。
人と違う、自分の強みを見つけ伸ばすことが、自分の能力向上へとつながる。
そのためには、自分が何を得意とするのかだけでなく、周りと自分の差について興味を持つところから始める。
不得意は克服しなくても死なない
不得意だから、損をすることはあるかも。だけど、死なないのであれば、どこまでそれを自分が許容できるかどうか。
自分の強みを伸ばして良い。弱みは、変わらない。それを受け入れた方がいい。
別に自分は完璧でなくて良い。
幸せになるために働いている
大変な状態になるために働いている人は少ない。
お金 < 自己実現
わたしたちに変わりは、いる
わたしたちにしか今はできない仕事はあるかもしれない。だけど、それをどうにかするのは、私をはかぎらない。
引き継ぎできるようにしていないことは、仕事として、正しい状態ではない。
書くことは、仕事につながらなくても良い
お金になることは、いいこと。でもならないことは悪いことではない。
やめなければいつかなんとかなる
続けることは、強さ。それができることが強さ、努力も。
だけど、やめなければ、続いている。ものは考えよう。
やめなければ続いている。
休むことは、仕事の一つ
予防と発表に対する作では、前者の方がコスパがいい。
体は資本
というか、体が健康でなければ、仕事はできない。
体としても、心としても。
嫌だと言いながら続けているのは、自分の選択
大人は、自分で選べる
気づいていないだけで本当は選べる立場であることに気づいてほしい。自分を幸せにするのも、不幸にするのも、自分次第なのだと。少なくとも大人は自分の人生の鍵は、自分で握っているはず。
嫌われてもいいとおもっている好かれる。嫌われてもいい=素の自分。それでも、自分と一緒にいてくれる人は、自分と会う人、合わせてくれる人。
逆に偽りの自分でいると、自分と合わない人と出会う。
友達は量より質
あらゆる負の要素を排除し続けると、自己肯定感が上がる
それは、自分にとって、自己肯定感を下げる存在と触れる機会を極力減らすことだから。
結局自分の能力は、一つひとつの技能だけではなく、自分自身のメンタルに大きく左右されるわけだ。
コミュ障よりテキストコミュ強
コミュニケーションが苦手な人は、速度が合わない場合がある。テキストに置き換えると、速度がそこまで問題がなくなる。なぜなら、自分で出した言葉が相手に伝わるまでにタイムラグが発生するから。そのタイムラグをうまく使えばいい。
謝られたからといって、全てのを許す必要はない
拒否反応を示すわけではないが、明確に一線は引く。心の内では、「でもこういうことした人だし」と思ってる。許せない自分の心の狭さを、心苦しく思う必要はない。
弱さを知る人は強くなれる
元から強い人はいないかもしれないけど、大体上手く過ごしてきた人っていうのはそれなりにいる。そういう人とたちは、自分みたいなできないことが多い人からすると、できる人なのだ。強い人。強くない人は、それがない、もしくは足りない。
強くなれるのは、弱さを知る人。弱くて、挫折をした人が、弱い人に寄り添える。それこそが強さ。
その強さとは、どのように育んでいくのか。
そんな本を書きたい。
初めて具体的な書きたい本のタイトルが浮かんだ気がする。
センスは身につけることができる
私はあなたみたいにセンスがないから
その言葉の真意はわからないけど、センスというものは先天性のものより、後から身につけられる技術のようなものだと思っている。
好きなものを好きと思う気持ちに、ちょっとのナゼ?を加えるとそれは育まれ、磨かれる。逆に、自分には無理だと思ったら、もうそこには辿り着けない。
センスとは、その人が感じてきたことの積み重ねからなる。だから、誰かのセンスがいいと感じたとき、それが自分の好みであれば、真似ればいい。そうでないなら、それは誰かのセンスであって、それ以上でもそれ以下でもない。
必要のない僻み妬みその他の感情を消費するのは勿体無い。
自分にとって本を読む理由とは何か
自分の辞書を分厚くする。Obsidianに作っている自分の学びを大きくする。視覚的にわかるようになればその分、より動機づけが上がる。ノート数が全てではないけど、ノート数も一つのバロメーターになるかもしれない。作った数と、編集した数、何かで記録取れないか。それこそGitでできるのか。
読書はその人を頭良くするためでもなく、ビジネスで有用にするためでもない。とても心が楽になるための手法の一つ。読むことはしんどいかもしれないけど、そのさきにちょっと楽になったがある。
逃げるのも一つだけど、心が楽になる手段をいくつか持っておくほうが、いざというときの選択肢を持つことができる。
以前から考えていたけど、自分が本を読む時にハードル上げすぎてしまっているから、これを下げるのにちょうどよかった。
書くことは自分にとって何か
言語化の練習とメンタルフルネス