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他人の真似を突き詰めると出来上がるオリジナル
自分の好きなことを突き詰めると、オリジナルになる
それには理由がある。
好きなことというのは、自分で集める
自分で情報を集めると、自分の力になる比率はかなり多い。
これは物事を主体的に捉えているからではないだろうか。
主体的に捉えるということは、自分ごととして捉えること。
結果として生まれるのは、自分の意思。
人は、意思決定をしながら日々過ごしている。
その意思決定は他人に言われて行うこともないが基本自分で行う。
その日に食べるものも、着る服も。
その意思決定をした時と、誰かに言われた時の自分の経験というのは全然違う。
自分で選んだことは、自分で責任を負える。
例えば、食事を摂るために入った飲食店で他人が決めたものを食べた時、思った味ではなかったとする。
その時、口には出さなくても、その選んだ他人の生徒感じるだろう。
でも、自分で選んだ場合、自分にしか責任がないのだ。
だって自分で選んでいるのだから。
同じように、好きなものは自分で情報を撮りに行き調べる。
調べて新しく知識を得たら、また知らないことに気づく、
この循環こそが好きこそ物の上手なれという諺にも現れているのだろう。
そしてこの好き故の連続性は習慣となる。
習慣とは、努力に近しいとかんじている。
努力はある分野の事柄を頑張って続けることと仮定した場合、習慣は頑張らず続けることだ。
自然と身につき自分の中で何も苦労がいらなくなる。
結局、好きなものを続けると自分の中に身につくのだろう。
その結果自分から生み出したものは、オリジナルとなる。
オリジナルが誰かにとっていいものとなるかはわからない。
それでも自分が知ったことを自分で咀嚼して外に出すことで、オリジナルとなるのだ。
結果、何かを真似たとしてもオリジナルとなる
真似ることはいけないことではない。
真似て、自分の糧にして、みんながいろんな表現をすることでオリジナルがたくさん増えるといいなと思う。