建築家思考の 狭小住宅
狭小住宅 は、ひとつのライフスタイルです・・・
狭小住宅 とは ”とても小さな家” のこと、そう思っていませんか?
そうではありません。
狭小住宅 は、とても魅力的なライフスタイルのひとつです。
狭小住宅 を考える
狭小住宅 は今迄にも設計してきた。
現在工事中の”工房のある家”もそうだし、
床面積で言えば”王子の家”もそうだ。
私が独立する前に働いていたアーツ&クラフツ建築研究所は、
狭小住宅を得意とする有名な設計事務所で、
私もそこで狭小住宅ばかりを担当していた。
ただ、この「狭小住宅」という言葉はあまり好きではない。
何も「狭い」「小さい」と重ねて言わなくても・・・と思ってしまう。
「小住宅」くらいの表現の方が品があっていいのだけど・・・
狭小住宅の設計はやはり難しい、けどとても面白い。
広さに余裕がある住宅と同じように設計しても上手くいくはずがない。
出来るだけ広く感じさせるとか、
出来るだけ合理的な収納を工夫するとか、
出来るだけ合理的に広い床面積を確保するとか、
そういったテクニックも必要だけど、
テクニックだけで終わってしまうのは良くない。
テクニックは手段であって目的ではない。
建物の設計を合理性という答えを求めるだけのパズルにしてしまってはいけない。
狭小住宅の場合は斜線制限なども厳しくかかってくるので、
その厳しい制限の中での合理性を求めるパズルは案外と楽なのだ。
例えば、らせん階段は廊下が必要ないから、
狭小住宅においてはとても便利で合理的な階段である。
狭小住宅の設計に慣れてくれば、
らせん階段を平面のどのあたりに配置したら合理的に床面積が確保できるか、
すぐにおおよその察しがつくようになる。
けどそこに、
狭小住宅の本質的な問題解決があるわけではない。
狭小住宅 に求められる価値観
逆説的な言い方になってしまうけど、
狭小住宅の良さは、
小さいということが、
住まい手にとって住宅にいちばん重要なものは何なのか、
そもそも住宅って何なのか?
そもそも生活って何なのか、
という問いを否応なく突き付けてくることになる点だ。
その問いに対する答えこそが、
住まい手の価値観というもので、
実はこれはどんな規模の住宅設計においても最も重要なものなのだけど、
狭小住宅ではそれがもっと切実で現実的な生活の問題として襲いかかってくる。
そこをきちんと捉えて出来た住宅は、
その住み手ならではの価値観が凝縮されて反映された、
個性的で人間味のある住宅になるのだと思う。
そこがとても面白い。
設計者としては、
狭小住宅をテクニックの寄せ集めで終わらせてしまうのではなく、
小さいということを、
もっとポジティブに受け止めていく根本的な価値観が欲しい、
そう思う。
小さい、ということ。
小さい、ということ。
短歌、茶室、坪庭、盆栽、活け花、カメラなどの精密機械、家電・・・
どうも私たちの国には小さいものへの強い愛着があるらしい。
鴨長明は自分の住まいを10分の1、100分の1と縮小し、
「広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。」の庵が終着点となった。
平面が3メートル四方程のこの庵は、
何時でも場所を移すことの出来る、
いわば仮設小屋のようなもので、
ここで『方丈記』が記された。
小さくする、ということは
ただ縮小する、ということだけでは無いようだ。
そこから外部の広い世界へと通じる回路を同時につくること、
縮小することで拡大する、
という反転の構造があるように感じられる。
狭小住宅に潜む大きな可能性
狭小住宅にも発想の転換が必要だと思う。
そしてこの発想の転換にこそ、
狭小住宅の大きな可能性が潜んでいると思う。
例えて言えば、
長編や短編の小説というよりは俳句のようなものだろうか。
日本庭園というよりは坪庭のようなものだろうか。
日本家屋というよりは茶室のようなものだろうか。
小さなものに大きな可能性を入れ込んでいく、
そんな逆転の発想が必要なのだと思う。
それがうまくいくと、
建物自体は小さくても、
豊かで、のびやかで、大きな可能性を持った住宅になるように思う。
狭小住宅 というライフスタイル
私は、
狭小住宅 とは、ひとつのとても魅力的なライフスタイルのこと、
だと思う。
それは、
まちに暮らす、
というライフスタイル。
ダイニングテーブルは近くのお気に入りのレストランにもある、
勉強部屋は近くの図書館の広いテーブルにもある、
映画を観たい時は近くの映画館に自転車で行けばいい、
ちょっと仕事をしたい時は、
ノートパソコンを持って行きつけの喫茶店に行けばいい・・・
閉じた家の中にだけ暮らすのではなく、
家の外壁を超えて、
敷地境界線も超えて、
まちに暮らす、
というライフスタイル。
生活の場は家の中だけではない。
まちの中に棲み、
まちの中で暮らしている。
こういったライフスタイルの人が増えれば、
そのまち自体ももっともっと魅力的なまちになっていくだろう。
今後は例えばテレワークなども進み、
仕事の仕方も生活の仕方も変わっていくのだろう。
とすれば住宅のあり方も変わるはずだ。
仕事の場も生活の場も、
家の中だけで閉じてしまうのではなく、
家の外へ、
まちへと開いていける回路も必要になってくるのかもしれない。
まちに暮らす、
という狭小住宅に、
今後の新しいライフスタイルの可能性が潜んでいるのかもしれない。