”間取り”からの解放
住宅おいて、よく”間取り”という言葉が使われている。
あるサイトでは住宅の規模や方位といった条件を入れれば、
いくつもの”間取り”が出てくる。
住宅情報の本とか不動産屋さんのチラシとかには必ず載っているので、
”間取り”図は多くの人が見慣れているものなのだと思う。
けど”間取り”という言葉は私はほとんど使ったことがない。
平面とかプランとかの言葉を使う。
すでに建物の構成の大枠が決まってしまっているハウスメーカーの家やマンションにおいては、
”間取り”図はある一定程度の参考にはなるのだろう。
だから戸建て住宅をゼロから建てようと考えている時も、
”間取り”図をもとに判断したり、
人によっては自分らしい家をと思い、
自ら”間取り”図から考えようとしたりするのだろう。
”間取り”の検討が簡単にできるソフトとかアプリとかもあるらしい。
私も修業時代の頃は、
設計を”間取り”(プラン)から考えていたような時もあったけど、
”間取り”だけで住宅(建物)を判断したり考えたりするのは間違い
だと思う。
どうも”間取り”というと、
ある形と大きさの平面形の中での、
各部屋の陣取りゲームというか、
パズルのような扱いがされているような気がする。
設計はパズルのようなゲームではなく、
むしろゲームのルール(構成)自体を決めることだ。
各部屋の広さのバランスも良く、廊下の長さも最小限、
そういった合理的な”間取り”が出来たとしても、
そこに合理性以外の意味、
こういった家にしたい、
という建物全体としての大きな構成が無ければ、
魅力的な住宅にはならない。
誤解を恐れずに言えば、
上記の意味での”間取り”は私は嫌いだし出来るだけしたくない。
”間取り”からは解放されたい、という強い思いがある。
大きな構成それ自体がそのままプランであるような、
そんな建物を目指して私は設計している。
現在工事中の”工房のある家”もそうだ。
いわゆる狭小住宅だから尚更、”間取り”なんてしたくない。
基本設計ではほとんど”間取り”(プラン)は描いていない。
大きな構成ルールを見つけるためにコンセプト模型を作ることに集中した。
作ったコンセプト模型に対しては、
頭の中でおおまかな部屋の配置も想定していくけど、
平面図を描くのは本当に最終段階だけで、
寸法的にきちんと納まるかどうかの確認程度である。
私は基本設計時は構成ルールを見つけることだと考えている。
その構成ルールを導き出す根拠は、
住まい手の価値観や生活観、予算、敷地周辺の環境、構造形式などだ。
ある構成ルールの結果として生じるプランに無理があるなら、
構成ルールの適用の仕方を微調整するか、
もしくは別の構成ルールを探す。
そういったかたちでいくつもの案を作成し比較検討をして、
1つの案に絞り込んでいく。
私はプラン(間取り)から設計を始めることはしない。
プランは大きな構成ルールの結果として生じるものであって、
その逆ではない。
それが私の設計の考え方である。