”象徴形式”としての遠近法
建物の写真を撮る。
広角のズームレンズだと周辺部がどうしても歪む(いわゆる歪曲収差)。
その歪みが大きいと“不自然”に感じてしまい、フォトショップなどで画像修正をする。
すると“自然”な写真になったような気になる。
でもよく考えてみると、これはアベコベな話だと分かる。
人間の球状の眼の構造を考えれば、
周辺部が歪んで見えるのはむしろ“自然”なことなのである。
それを“不自然”に感じさせてしまうのは、
建物の壁は垂直につくられているはずであり、
床や天井は水平につくられているはず、といった、
写真を見る側がそういった認識を持っているからなのだろう。
人間が見ているものと網膜に映る像は違う。
つまり人間は網膜に映る像をそのまま見るのではなく、
認識などといったフィルターを通して脳で翻訳された像を見ている。
ルネサンス期に発明された数学的遠近法も、
近代を通じて人間の目に強い影響を及ぼし続けたフィルターのひとつだといえる。
3次元のものを2次元に数学的に秩序付ける作図法であった遠近法はいつしか、
われわれのモノの見方つまり目そのものを制度化、秩序化してしまっている。
つまり遠近法は単なる作図法の発明であっただけでなく、
人間の新たな視覚そのものの発明であり、
西洋近代精神の根本となった特異なテクノロジーでさえあった。
『<象徴形式>としての遠近法』(エルヴィン・パノフスキー 著)は、
遠近法というものがいかに、
その時代の精神が求めた象徴的な制度であり教義的な形式であったのか、
ということに気づかせてくれる。