新・建築の黙示録
「人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、
寸法によってあらわすのが設計というもの」
と言ったのは建築家・吉村順三。
建物はコンクリートや鉄、木、ガラスなどのあらゆる物質が、
あらゆる段階で加工が施され配列されて出来てゆくものである。
そこには上の言葉にあるような設計者に限らず、
その建造に関わる様々な人間の意図が何層にも塗り重ねられてゆく。
例えて言えば、
合板1枚、ガラス1枚などにも、
建材用に加工されているという人間の意図が顕れている。
写真家・宮本隆司氏の『新・建築の黙示録』にある写真。
ここにあるのは建物が取り壊されてゆく光景であり、
つまり先に書いたような、
人間によって塗り込められた意味・意図が剥がされてゆく光景でもある。
崩れたコンクリートの壁や、
剥き出しになった鉄筋、
砕けたガラスの破片など、
人間によって強制的に担わされた用途から離れて、
物自身としての姿を取り戻しつつある光景。
そこにはなぜか妙に惹きつけられてしまう美しさがあるように感じる。
それは人間が意図的にはつくりえない性質の美しさゆえなのか、
それとも人間にはカタストロフに対する潜在的な欲望があるゆえなのだろうか?